(最終更新2009.11.8)
タグ分類を兼ねて。今後、すでに記事になっている対訳シナリオ採録や解説文をさらに増量する際には、新規に記事を投稿するのではなく、この冒頭記事から文章の改訂を記し表示することにする。本記事は冒頭部に固定されるため、未分類・雑記等の新規投稿記事は目次にのぼらないこともある。Bloggerでは線的な記事の展開に引きずられすぎているように思うことと(Bloggerに限らずブログ一般に言えることだろうが)、過去の記事の一覧性に乏しいと考えたため、このようなかたちをとった。分類項目(タグ)の配置とその関係付けを明確にしていくことにもつながっていくだろう。目次は投稿日付を記さず、その配置も投稿順にしたがわない。これを機に解説文の記事名には改めて作品製作年を付した。タグを「[ ]」として注記し、雑記の一部はその性質上この一覧から外した。
※最近Twitterをやってます。きっとしばらくすると、mixiや本サイトのチャット部屋同様に放置することになるんでしょうけども、チャットのごとくその場その場メモをするには適している……のかな? っていう媒体として使ってます。そしてフォロー関係は無視、あまり意識しない路線で行くことに決めた(フォローしてくれてる人ごめんね)。この※欄ごと消去してつらつらTwitterでつぶやくことにするかも。どういう人に見られてるのかなどを気にすると書けなくなる、という流ればかりがこれまであったので。適当にぼーっとしてる方が何かしら一段落したものを書けているような、自分の性分が憎い。(あ、Byg本の邦訳は忘れてはいません。伸び伸び&意欲疎隔感が増しているだけで…)
論文邦訳
・第10章 「翻訳」としての映画作品 1 [論文邦訳]
・第10章 「翻訳」としての映画作品 2 [論文邦訳]
・第10章 「翻訳」としての映画作品 3 [論文邦訳]
インタヴュー邦訳
・ゴダール・インタビュー:私、イメージの男(09.11.8) [インタヴュー邦訳]
考えたこと
・雑記14 交渉 - 勇午1 [雑記]
・雑記16 「殴れ」? - 勇午2 [雑記]
・ウィリアム・フォーサイスの現在 (追記08.12.19)
・ジュネの話法と裏切りの軌道
・非対称性の操作 - ゴダール『アワーミュージック』 (転載と補注, 09.11.3-4)
書くこと
・雑記12 文章を書くとき [雑記]
・雑記15 翻訳としての作品と、作品の翻訳としての言説と、謎・余白として動くブロックの産出 [雑記]
・雑記17 ニコニコ動画UP、および本ブログの(勝手に)翻訳の背景にあるコンセプト [雑記]
・雑記18 心惹かれるブログ [雑記]
・雑記19 心惹かれるブログ2 [雑記]
レポート・レジュメ類
・十川幸司公開セミナーレポート(2009.1.14)
解説文など
・ゴダール「コンクリート作戦/コンクリート工事」(1954) [解説文]
・ゴダール『シネトラクト』(1968) [解説文]
・ジェラール・フロマンジェ「ルージュ フィルムトラクト1968番」(1968)(撮影:ゴダール) [解説文]
・ジガ・ヴェルトフ集団『イタリアにおける闘争』(1969) [解説文]
・ジガ・ヴェルトフ集団『ウラジミールとローザ』(1970) [解説文]
・ゴダール&ミエヴィル『二人の子供フランス漫遊記』(1977) [解説文]
・ゴダール『「勝手に逃げろ/人生」のシナリオ』(1979) [解説文]
・ゴダール&ミエヴィル『ソフト&ハード』(1986) [解説文]
・ゴダール『WAと会う/ウディ・アレン会見』(1986-87) [解説文]
・ゴダール『アルミード』(1987) [解説文]
・ゴダール&ミエヴィル『芸術の幼年期』(1990) [解説文]
・ゴダール『子供たちはロシアで遊ぶ』(1993) [解説文]
・ゴダール&ミエヴィル『フランス映画の2×50年』(1995) [解説文]
・ゴダール『映画史』2A 映画だけが(1994-98) [解説文]
・ゴダール&ミエヴィル『古い場所』(1998) [解説文]
・ゴダール&ミエヴィル『古い場所』 シナリオ採録 [シナリオ採録]
・ゴダール『二十一世紀の起源』(2000) [解説文]
・ゴダール『二十一世紀の起源』 シナリオ採録+日本語試訳 [シナリオ採録]
※ギヨタ朗読箇所は依然として未訳ですが、テキストファイル置き場に仏語原文字幕srt/英語訳字幕srt/日本語字幕srtの3本をまとめた書庫をアップロードしておきました。(09.6.3)
・ゴダール、ザグダンスキー対談『文学と映画』(2004.11.4) [解説文][動画公開サイト関連]
・ストローブ&ユイレ『ロートリゲン!』シナリオ採録+日本語訳 [シナリオ採録] (修正, 09.6.3)
※テキストファイル置き場にスペイン語字幕srt/日本語字幕srt/仏日字幕(ニコニコ動画投稿者コメントデータ)の3本をまとめた書庫をアップロードしておきました。(改訂修正, 09.6.3)
・ストローブ&ユイレ『ロートリンゲン!』の背景1 [雑記的解説文]
・Martin Heidegger. Teil 1. German / Heidegger Speaks. Part 1. English subtitled 採録+日本語試訳 [映像内発言採録]
文献・資料など
・雑記3 ゴダール『映画史』字幕作成に関して [資料関連][雑記]
・雑記4 資料関係について [資料関連][雑記]
作業中メモ
・雑記11 作業中の走り書き [雑記]
・雑記13 たまには日記みたいな文章 [雑記]
・雑記20 お手製書誌置き場を作った [資料関連][雑記] (修正, 09.6.5)
権利関係・他の動画サイトについて
・雑記6 ニコニコ動画で見つけた動画2 [動画公開サイト関連][雑記] (最終更新09.6.20)
・雑記7 パブリックドメイン映画についてA [雑記]
・雑記9 パブリックドメイン映画についてB [雑記]
・雑記5 翻訳字幕を協力した。 (余談箇所:)[動画公開サイト関連][雑記](最終更新09.2.10)
ところで、当ブログは[映像内発言採録]やその翻訳をあまり手がけていないが、Dailymotionへのアップロードおよび翻訳字幕作成を手がけ、フランスの政治新聞記事の要約・翻訳していたブログ「Air du Temps フランスのアクチュアリテ」や「ね式(世界の読み方)Il faut cultiver son jardin」が有益。
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2011年11月11日金曜日
2009年11月8日日曜日
ゴダール・インタビュー:私、イメージの男
「ゴダール・インタビュー:私、イメージの男」
〔Jean-Luc Godard, «The Godard Interview: I, A Man Of The Image», (interviewed by Michael Witt), Sight and Sound, June 2005.〕
凡例
・小見出しに相当する「○」や「:::::(後略)」は訳者による付加。
・〔〕内は訳者が補った文章。
・[]内は英文原語。
(見た目上煩わしくなってしまうのだが、カーソルを当てると表示される、といった手法はないものなのか)
・注はすべて訳注。

ゴダールの『私たちの音楽』[Notre Musique〔邦題『アワーミュージック』、2004〕]は――そこでは戦争が地獄であり、サラエヴォは煉獄であり、天国は湖畔の田園詩である――その明るい雰囲気が持続するように構築されていない。「それは使い尽くされている・疲れ果てている[exhausted]」と監督はマイケル・ウィットに言う。
ジャン=リュック・ゴダールの明朗で多声的な映画作品『私たちの音楽』は、明るい接触と、深い思考と、形式的な実験における喜びとを結合し、そうすることによって、バルカン半島諸国における戦後の和解といった切迫する現代的問題やパレスチナ人とイスラエル人の間で成熟した相互理解を探求を喚起し、直面させる。『フォーエヴァー・モォツアルト』(1996)や『愛の讃歌』〔邦題『愛の世紀』〕(2001)といった以前の主な二作品よりもエッセイ的な文体で、観客がすぐにとっつきのよさを感じるだろう本作は、三つの王国からなるダンテ的な三連作で組み立てられている。「地獄」(戦争と虐殺[decimation]を描いたファウンド・フッテージのコラージュ)、「煉獄」(現代のサラエヴォ)、「天国」(アメリカ軍に守られた田園詩的な湖畔の森)の三王国だ。作品の核心が当てられている「煉獄」の中心部は、サラエヴォのアンドレ・マルロー・センターで2000年以来毎年開催されている企画であり、ゴダールも2002年に出席した「ヨーロッパ文学の諸遭遇[European Literary Encounters]」[1]を少々フィクション化しつつ再演することにある。
今日のゴダールは伝統的な特徴をもつ映画作家であるのと同じぐらいマルチメディア・アーティストであり、『私たちの音楽』は、過去十年間の膨大な作品――その多くは、長年にわたる同伴者であり映画作家・写真家・作家であるアンヌ=マリー・ミエヴィルとの共同制作で作られたものだ――とのあいだに主題的・文体的な強い親和性を示している。彼の主要作品に加えてこの作品は『(複数の)映画史』〔邦題『ゴダールの映画史』〕を含んでいる(1988-98、現在ヴィデオ、書籍、CDで発表され、また、劇場公開用に設計された90分の「最善の」編集版『(複数の)映画史の選ばれた契機=瞬間』〔邦題『映画史特別編 選ばれた瞬間』〕が発表されている)。6つのさらなるヴィデオエッセーがあり(3つはミエヴィルが共同監督)[2]、視聴覚的作業から派生した「フレーズたち」の6冊の本があり(1つはミエヴィルが共著者)[3]、これまで未発表だった集合的で映画的なパリの肖像となるはずだった短編がある[4]。さらには、ゴダールは時間を見つけてミエヴィルの『わたしたちはみんなまだここにいる[Nous sommes tous encore ici]』(1997)、『和解のあとで[Après la réconciliation]』(邦題『そして愛に至る』, 2000)に出演し[5]、ごく最近では、これまで大いに期待されていた美術館内インスタレーション計画『コラージュ・ド・フランス』を準備中である(ポンピドゥー・センターで2006年4月から6ヶ月間の展示予定)。
「煉獄」の冒頭のショットは「昔々…」と告げ、通過する路面電車に貼られたポスターが「ある日」という文字を示すのを通過する。そして私たちは日常生活を送るサラエヴォの住人を目にし、他所から来る訪問者の多様性を目の当たりにする。その訪問者とは、スペイン人作家のフアン・ゴイティソーロ、パレスチナ人詩人のマフムド・ダルウィーシュ、フランス人著者・彫刻家のピエール・ベルグニウ、フランス人建築家ジル・ペクー(ちょうど映画撮影の時期に彼は、有名な16世紀のモスタル橋の再建計画に責任を負っていた)、ゴダール自身(テキストとイメージについて講義をおこなう)、そして、若いイスラエル人ジャーナリストのジュディット・レルナル(イスラエル人女優サラ・アドラーが絶妙に演じている)、ロシア系のユダヤ・フランス人のオルガ・ボロスキー(フランス人女優ナード・デューが演じている)といったわずかにフィクショナルな登場人物たちだ[6]。多くのシーンではこの第二部の力能[power]を発揮しており――時おりロッセリーニの『ドイツ零年』(1948)を力強く連想させる――、その力能は、近年の戦争〔ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争中のサラエヴォ包囲〕によって傷ついた都市を描いたドキュメンタリー的肖像であることに由来している。
この作品では、サラエヴォの復興[reconstruction]とボスニア戦争の通夜/痕跡[wake]にあるモスタル市とを、世界中の敵対しあう諸勢力の間にある潜在的な和解[potentional reconcliation between warring factions around the globe]の隠喩として探求している。最近にあった過去よりは破局的ではない未来を想像しつつ、作品は楽観的な立場を表明する。多少は恐ろしさの減るだろう未来への不確かな歩み[a tentative step]が対話によって生まれるのを期待しつつ、誠意と率直さで互いに近づきあうサラエヴォの人々の可能性にゴダールは興味を抱く。作中の講義で、アメリカ南北戦争[American Civil War]で1965年に徹底的に破壊された町、ヴァージニア州リッチモンドの写真[image]をゴダールは掲げる。この写真は、ちょうどアメリカ合衆国が現在そうであるよりももっと統一されていなかったことを示す簡単な方法であり、それゆえここには、憎しみで引き裂かれた他の場所〔国々〕にとっての希望があるのだと。
サラエヴォの有名な(1992年にセルビアからの砲撃で破壊された)公共図書館の燃え尽きた残骸のなかに立つゴイティソーロは――彼は1993年のサラエヴォ包囲についての注目すべき目撃証言『サラエヴォ・ノート[Cahier de Sarajevo]』で[7]、欧州連合が大量殺戮を阻止するにあたって決定的な失敗行動をとったことについて激しく非難した――、復讐をではなく蛮行に対抗する創造性の大波を求めて叫ぶ。「私たちの時代に終わりなき破壊の力があるのと同様に、私たちの時代はそれに匹敵する創造力が必要だ。記憶を強化し、夢を明確にし、イメージに実体を与える創造力が。」[8]。
フィクションの人物ジュディットはパレスチナ人とイスラエル人の関係について新鮮な考え方を見つける可能性を求めてサラエヴォに惹かれる。希望に突き動かされた彼女は、強く固定された差異を傍らに置くのを夢に描き、同じ区画の土地において愛を共有することについて簡単な会話をはじめるのを夢に描く。彼女はこう問う、「人はそこから始められるのだろうか――土地から、約束から、許しから?」。『私たちの音楽』は平易な答えを提供するのではなく、もろもろの終わりなき問いを提起する。この30年間の多くのゴダール作品やゴダール&ミエヴィル作品と同じく、受け取られたアイデアの専制に対する防塁として、そして新鮮なパースペクティブを生成する実験場としてこの作品は機能する。
この作品は去年完成した。先日私がロールにあるスタジオへゴダールを訪ねたとき、作品がフランスでたいした興行的収益を上げないだろうことには彼はあまり気にしておらず、批評の反応で質の悪いものが出てくるかどうかについて気にしていた。それは、全体的には、人々は言葉を失うだろうから、と彼が感じているということであり、部分的には、パレスチナとイスラエルの問題をこの作品で取り組んだ[addresses]手法は非伝統的なものだから、と彼は言ったということだ。
〔聞き手:マイケル・ウィット〕
::::::::::::::::::::
――この作品で目覚しい印象を覚えるものの一つに、サラエヴォの街路が探求されていることです。これは、ヌーヴェル・ヴァーグにあったドキュメンタリー的な好奇心を想起させるものです。
それは私が保持し続けているものなんだ。友達のアンヌ=マリー・ミエヴィルもそれを持ってて、彼女は現実に存在する事物を撮るように車を撮る方法を知ってる。ヌーヴェル・ヴァーグのとき、私たちは自分たちがよく知ってて関係してた場所に登場人物を歩かせたがった。まあ、今の監督たちは古い街路を何でも使うようだけどね。もし君がブルース・ウィリスが街路にいるのを見たとしても、それは監督やウィリス演ずる人物がその街路を好きだからじゃない。かつて監督はスタジオを使っていた。けれど、私たちは私たちの愛する場所にカメラを歓待[welcome]させたかったんだ。
――この作品はドキュメンタリー的な表現によって、未知のものについて力強い感覚を喚起します。
シナリオは、その前の年に「ヨーロッパ文学の諸遭遇」に参加したときの私の経験に基づいてる。そのときは誰かがヴィデオカメラを使ってそこに来た多様な参加者たちや、作品で再演[re-enact]したような、私が生徒に講義しているのを記録していたようだった。けれども、それ〔映画作品での再演〕はまったく同じものではないだろう、作品には映画制作チームって重みや映画にとってのフィクショナルな装置が必要だった、と感じた。作品で撮った人たちには、サラエヴォには心に触れるものが何かあるのを感じてた。私たちが作った映画は、マイケル・ウィンターボトムの『ウェルカム・トゥ・サラエボ』〔1997〕のような交戦地帯の映画じゃない。たとえば、その映画では、彼はサラエヴォで何も見なかったようだし、彼の見たものはすべてすでに彼が知ってることだったようだ。そうして彼は演劇的な演出を創りあげてしまったというわけだ。
――あまりにも頻繁に映画作家たちは、周囲の世界を調べるために(顕微鏡や望遠鏡、聴診器といった線に沿って)準科学的な道具としてカメラの力を引き出すよりも、前もって決めたことを単に撮影してしまうのだ、とつねづねあなたは提起してきましたね。
人はある事物を見るためにカメラを必要とするんだ。今日の映画作品の大部分は、探求の道具としてのカメラを使わずして撮影されている――撮影の間、分析的な力を導き出すことの代わりに、人々は実に大量の説明で代用するわけです。「これを意図した。これを意図した」と。一方で顕微鏡を用いる科学者や化学者にはその顕微鏡が必要なのです。そしてホークスがロザリンド・ラッセルやケーリー・グラントを撮ったとき、そのためにはカメラが必要だった。彼は本を書いていたわけじゃないんだからさ。
――あなたは世界を記録し研究するためにカメラを用いる大きな必要を今でも感じますか?
うん、現実を分析するのに聴診器を用いるようにね。カメラはある事物を可能にするんだ。文学や絵画は違うし、それらは別の事物を可能にする。
――私がヌーヴェル・ヴァーグと関連付け、あなたの1970年代のUマチック[9]のヴィデオによる探求と関連付ける世界への感受性が、『私たちの音楽』では示されています。これは、再生の新局面がはじまるのを示唆しているんでしょうか?
私の人生や私の知性の軌跡に対応していたヨーロッパについてのあるアイデアの終焉の後、やりなおしたいという欲望があったんだ。私たちがやりなおせるかもしれない可能な出発点というのはあるんだろうか? シネマに関するかぎり、それは見つけられていない。そして、異なった話し方や異なった撮影方法を私たちが身につけているようには見えないわけで、そのような出発点が可能かどうかは疑わしい。〔この事態は〕さしあたり、むしろ終焉に似ている。
――あなたがそんなことを言うとは驚きです。私にとっては、この作品はきわだって明るい調子をもち、前向きですよ。
たしかに他の作品に比べると快活だし、この作品をペシミスティックだと言った人は間違ってる。逆にあまりに子供じみてオプティミスティックなんだ―-だけど、私たちはそのオプティミズムにおいて一年間を生き、今ではそのオプティミスムも使い尽くされて・疲れ果ててしまった[exhausted][10]。
○
――「地獄篇」のモンタージュは、あなたの別の作品のほかの箇所でサンプリングされた多くの作品断片を再加工していて、そのうちの一つはアルメニアの映画作家アルタヴァスト・ペレシャンのモンタージュ作品『始まり[Beginning]』(1967)があります[11]。あなたの象徴的な作品形態においてペレシャンは役に立つ参照点・基準点[point of reference]なんですか?
うん、少なくとも「地獄篇」では。というのは、地獄篇は使った音楽に基づいて構築されてるから。〔地獄編全体は〕10分か12分が必要だとわかっていたので[12]、〔三篇のうち〕この一篇は最後に作った[I did this part last]。私は3、4の音楽の部品を編集することから始め、それから表現したいもろもろのアイデアに対応するイメージを探した。そのアイデアとは、一つ目には、あらゆるところで交戦がつねにあり続けていて、そこでは互いに殺しあう人々がいて、そこに、大洪水[the floods]の後に武装した人間たちが現れ、互いに殺戮しあうことについてのモンテスキューの引用を伴走[accompanied by]させよう、というものだ[13]。二つ目には、戦争の機械[the machinery of war]のイメージが来るというもの。三つ目には、犠牲者たちのイメージが。四つ目には、戦争中のサラエヴォのイメージが。
○
――数年前にあなたの『私たちの音楽』と題された映画作品のシノプシスを見ましたが、それは、マンフレート・アイヒャーのECMレコードにかかわってる音楽家の何人かを訪ねるというアイデアを中心に展開していました。完成された作品にはこの計画の痕跡がほとんどまったくありません。
音楽についてのアイデアは〔完成作品においても〕残った。そのアイデアはサラエヴォに行くまで消えていたんだけど、それはちょうど路面鉄道の軌道に鳴る音がある種の音楽として私たちに聞こえるようなもので、そのため私はそれを『私たちの音楽』と呼んだんだ。すなわち、彼らの、私たちの、みんなの音楽、と。その音楽は私たちを生かすものであったり、私たちに希望を抱かせるものであったりする。人は「私たちの哲学」とか「私たちの生」と言うことができる、しかし「私たちの音楽」はよりうまい言い方だし、そこには異なる作用がある。そしてまたそこには、私たちの音楽のどのような側面がサラエヴォで破壊されたか? という問いがある。そして、サラエヴォにある私たちの音楽にいまだ何がある〔残っている〕のか? という問いが。
○
――あなたの2分間の献辞作品[homage]「たたえられよ、サラエヴォ[Je vous salue, Sarajevo]」(1994)は、ゴイティソーロの『サラエヴォ・ノート』のように、包囲された都市の住人に対するEUのシニシズム、怠惰、無関心への憤慨に満ちています。ゴイティソーロの『ノート』は重要な参照だったのですか?
私はゴイティソーロの作品はよく知らなかったけれど、その小さな『ノート』は、当時私が見つけたヨーロッパ人によるサラエヴォについての本では最良のものだった。
――戦争開始以来、あなたの作品ではしきりにサラエヴォが繰り返し登場してきました。
ちょっと、1968年以前のヴェトナムみたいにね。1968年以前、ヴェトナムについて定期的に言及するのが私の異議申し立て方法[my way of protesting]だったんだ。
――パレスチナ人詩人のマフムード・ダルウィーシュはこの作品ではキー・ポジションを占めています。「煉獄篇」の上演された[staged]ジュディットとのインタヴューでは、イスラエル人ジャーナリストが実際におこなったインタヴューで語った彼の発言を反復します。「なぜパレスチナ人が有名なのかあなたたちにわかりますか? それはあなたたちが私たちの敵だからですよ。私への関心ではなくあなたたちへの関心…。あなたたちは私たちに敗北と有名さをもたらしたのです」。
ダルウィーシュは重要で、それは彼が言うように、イスラエルが重要だからなんだ。しかし、彼がスクリーンに現れるのは、他の人よりも短い。
――かつて『ヒア&ゼア』(1975)でアンヌ=マリー・ミエヴィルと探求したアイデアを、講義においてあなたは再訪します。そのアイデアとは、第二次世界大戦で〔ナチの〕ある強制収容所の瀕死の囚人が「ムスリム〔回教徒、イスラム教徒〕」として描かれたということです。
最初に私は、ラーヴェンスブリュックに収容されていた民族学者にしてレジスタンス闘士のジェルメーヌ・ティヨン[Germaine Tillion]の報告のなかに、たまたまそれを見つけたんだ。物理的な存在として末期に〔死の淵に〕あり、逝きはじめ、死を待ち、自分でできることをおこなう囚人たちのグループのもはや一員ですらなくなった人たちが「ムスリム」と呼ばれたことについて、誰もふれないのを私はいつも驚いていた。その〔ナチの〕ドイツ人たちが彼らをそう呼んだにちがいないのだけど、そのとき私が奇妙に思ったのは、そのドイツ人たちはなぜ「犬」や「ゴミ」という呼び方やユダヤ人やジプシーについて使われてきたあらゆる言葉を使わなかったのか? ということだった。しかし今ではこう思う。瀕死の囚人をムスリムと呼んだのはユダヤ人であり、〔ユダヤ人にとって〕ムスリムは代々の敵だったのであり、生き延びよう[try to survive]としない者たちだったのであり、ユダヤ教・ユダヤ主義[Judaism]に反する者だったのであり、困難に関係なく生き延びるはずの者だったのだ、と。
○
――あなたの講義では、古典的話法の映画に馴染み深い標準的な「ショット/リヴァース-ショット」[14]に荒削りな批評を行う方法としてホークスについて短い議論が提出され、同時にその批評は、真に詩的なイメージを合成・構成[composition]するモデルとして提案されます。
現実の「ショット/リヴァース-ショット」のいい例は、ドイツ人物理学者のヴェルナー・ハイゼンベルクの書いた本から、彼が戦前に友人のニールス・ボーアを訪ね、エルシノア城に着いたのを記した箇所から抜粋した。ここではショットは城であり、リヴァース-ショットは「ハムレットの城」という記述だ。この場合、イメージはテキストによって創られている。それは――二つの星が関係付け[15]られて生み出される星座と同じく――詩人の行為なんだ[It's what poetry does]。
――そして、それが問いを喚起する、と。
それが問いを喚起し、問いのかたちをとって他の応答を招き寄せる[introduces]。その結果、私たちは同じことを何度も重ね重ね言わずに済むというわけだ。
――軽量のデジタルカメラが映画を救うのかと講義で尋ねられるとき、あなたは応えていませんね。
私は、そのシーンを素っ気なく・短く[short]したかった。ともあれ、私にはわからないよ。まずいことに、生徒たちは小型カメラがあれば何か映画作品を撮れると思っている。デジタルカメラのメーカーは(批評家もですが)こう言う、「すばらしい! 誰にでも映画を作れるね!」。違う、映画は誰にでも作れるんじゃない。映画を作ろうと思うことは誰にでもできるし、映画を作ろうと言うことも誰にでもできる。だけど、人が鉛筆を手にしたところで、ラファエロやレンブラントのように描けるわけじゃない。もし作中でこうしたことを私が言ったなら、このシーンはあまりに長くなったことだろう。〔だから、素っ気無く・短くしたんだ〕
――でも、それ〔デジタルカメラの可能性〕を追求しないのなら、どうしてこの問いを作品に残したのですか?
生徒たちが映画学科の学生であり、話しているのが私だからだよ。それに、問いの4分の3は馬鹿らしいものだっただろう。これは、そうすることで生徒が尋ね方を学ぶといった種類の問いなんだよ。
アメリカで講義をしたときのことを思い出すんだけど、そのときある少女を見つけたんだが、その子はきれいで私の注意を引いたんだ。そのとき、私は、集団に対してじゃなくて一個人に対して話しかけた方が、話しやすいのだと気づいたんだ。そのときその子は「ゴダールさん、あなたは云々かんぬん~~~ をあなたは詳しく説明できますか?」と長い質問をしてきた。それから私は一時間にわたって詳しく説明した。ともあれ、私はより一層詳しく説明をしたんだが、気づいたら彼女が自分のファイルケースを抱えてその場を去っていくところだった、ってな結果になってね。君の生徒たちはどうなのかは知らないが、〔これと同じことになるのを〕疑ってしまうね。
――イメージがテキストに支配されていることについての批判を、あなたはこの作品で追求していますが、あなたが提案するのはより両立的な[conciliatory]な姿勢です[16]。
私、イメージの男である私は他者に代わって弁護したんだ[I, a man of the image, was pleading on behalf of the other]、ちょうどセルビア人に代わってボスニア人が弁護するようにね。テキストの名において私は弁護していたんだ。
――あなたはフィルムを本のように他所・他なる場所として描きました。
本じゃなくて、フィルムだ。だけどそれは、本の人たちに向けた言い方だったんだ。「フィルムを本のように見てください」「ただし、読むのではなく、見てください」と。若い人たちはイメージやフィルムを読む方法を学ばなくてはならない、とフランスのある文化大臣が言っている。違う。若い人たちはそれらを見る方法を学ぶ必要がある。読み方を学ぶのは別のことです。
○
――〔地獄篇に挿入されている〕1993年のアマチュアビデオの断片映像では、クロアチア人側からの砲撃の後、モスタル橋が崩壊するのを私たちは目撃しますが、次いで〔煉獄篇では〕ネレトヴァ川から原石を引き揚げる等を含むモスタル橋再建の初期段階を目撃することになります。橋には大きな隠喩的負荷[metaphorical charge]がかけられています。というのは、建築家ジル・ペクーの手がけるその計画は、単に橋を再開する探求ではなく、「過去を修復し未来の可能性を作り、苦しみと罪を結合させる」[17]探求だからです。
それは実行されなかったんだ。ジル・ペクーは首にされ、新しい石や本物っぽい加工材を用いるような、どこにでもありそうな橋を作るクロアチア人がその計画責任者の地位に取って代わった。人がDVDですることと一緒さ―-修復なんだ。石は川から採掘され、それぞれ数字が振られ、そして使われはしなかったんだけど、その石のすべてを私は撮った――しかし、この映画を見る人は石が使われたんだろうと思うだろうね。今ではその石はモスタル市の住民が「石の広場」と呼んでる場所にあるよ。
○
――ジュディットは「煉獄篇」前半の中心にいますが、あなたの講義のあとはトーンが切り替わり、より暗い登場人物であるオルガが次第に目立ってきます。
それはフィクションへの切り替わりなんだ。フランスの批評家には、この二人の少女で混同した人も数人いて、二人の少女がいるのだということさえ気づかなかった人もいた。
――二人の間の関係には、分身的二重化[doubling]の感じ、あるいは二度現れる同一人物の感じがあります。
ここにはたぶんリヴァース-ショットのアイデアがあるんだ――登場人物に対する関係という以上に、二人目の少女は一人目の少女に対するリヴァース-ショットの関係に似ている。そのような二重性だとは考えてなかったけど、そう指摘してくれるのはうれしいね。それは創造的な無意識には欠かせないよ。
初期段階に私が思い描いていたのは、ただ一人の少女の、ユダヤ系イスラエル人ジャーナリストが最後には自殺する、というものだった。でもそれはちょっとやりすぎ[excessive]だったし、〔そのような描き方をしてしまっては、〕爆破するためにテル・アヴィヴ〔事件〕にその登場人物を戻らせるような誘発剤になった。そのときイスラエル人女優のサラ・アドラーはこの少女の役を演じたがっていたけど、自殺の箇所はやりたがらなかったんだ。「違う。私はそんなことはしない。それは〔自殺するというのは〕あなたの考え方であって、私の考え方じゃない」と彼女は言った。そのため、自殺の旅のために他の少女を導入しよう、そっちの方がいいだろうと考えたんだ。こうして、分身的二重化が導入されたわけだけど、単に安易なものにはなっていない。
――あなたの作品では自殺の主題が定期的に繰り返し登場します。オルガは実際に自殺しませんが、死を招き寄せてしまいます[invites death]。自爆めいた身振りをして[by acting like a suicide bombe]――そのとき実際には彼女は本を〔バッグから〕取り出そうとしただけなのですが――平和のためのキャンペーンに注意を引いた際に。
自殺のこの問題は、すでに『中国女』で〔レックス・ド・ブリュインが演ずる〕キリーロフを通じてスケッチしてあった。本作では「煉獄篇」の最後の少し前で、オルガが〔ガルシアと〕会話する際に、ドストエフスキーの同じテキストを再び使った。自殺を興味深い哲学的問題だとみなしたために、彼女は自殺しようと思うわけだ。作品にはこのアイデアを入れようと思っていたが、それはテロリズムの名においてテロリズムを擁護しようと思ってのことじゃないし、その場合は討論に参加しなくてはならないだろう――少なくとも作品のなかで――「しかしあなたは罪も無い[innocent]な人々を殺しているのか?…」「そう、しかしだからあなたは…」「まず私は…」といったようなね。私はひそかにこう考えた、「彼女は、私が自らにできるだろう何かをしなくてはならない」。そして私は、理論的に、哲学的問題として、自殺についてしばしば考えるんだ。
カミュの『シーシュポスの神話』冒頭部のある一節、「真に哲学的な問題は一つしかない、それは自殺だ」が私のなかにずっと滞留していた[has stayed with me]。たとえ私が自殺しようとしても、窓から投身自殺するのを望みはしないだろう、と思っていた―自分で自分を傷つけるのは怖いからね。それに銃の買い方も知らないし、断られるだろうから医者からシアン化合物をもらうこともできない。眠ってるときに絞め殺してくれるほどに私を愛してる? と誰かに尋ねるなんて無理だ。方や私は少しずつ、何らかのテロリストに加担することができたし、テロ活動をはたらいたりすることができたんだ。
だけど、〔たとえテロ活動を実行したとしても〕私はオルガのように失敗することだろう。兵士が三十分後に私を射殺するんだろうなと知って自殺をやりとげるんだろうね――イスラエル兵士は決して射殺しないのだとサラ・アドラーは意見するけども。私の友人である本〔の主旨〕に沿って、平和の名において、それはおこなわれるのだろう。私は一つのイメージであり、友人つまり本を、ポケットに持っている。そして、そうすること〔友人としての本をポケットに持つこと〕ができるのだと私は自分に言い聞かせる。これは批判・批評される[be criticised]だろうと予想していたんだけど、誰もこれについて言及しなかった。それは議論不可能[unchallengeable]なんだ。
――「天国篇」は美しく、現実的で、可笑しくて[funny]、少し悲しいものです。
これは反米[anti-American]だと批評家たちが言ったが、私たちがアメリカ映画で何百回となく耳にした「アメリカ海兵隊賛歌」では、彼ら〔海兵隊〕は言ってるんだ。「もし陸軍と海軍が/天国の情景[scenes]を見渡すならば/天国の街路が/アメリカ合衆国海兵隊に守られているのに気づくだろう」[18]。人々は「それは単なる歌詞だ」って言う。違うよ。
訳注
[1] 日本公開上映時に販売された冊子では「本の出会い」と訳されている。
[2] 何年以降から6作と言ってるのかよくわからないが、『パリの人々』(Parisienne People, 1992, 共同監督アンヌ=マリー・ミエヴィル)、『子どもたちはロシア風に遊ぶ』(Les Enfants jouent à la Russie, 1993)、『たたえられよ、サラエヴォ』(Je vous salue, Sarajevo, 1993)『TNSへのお別れ』(Adieu au TNS, 1996)、『古い場所』(The Old Place, 1998, 共同監督アンヌ=マリー・ミエヴィル)、『二十一世紀の起源』(L'Origine du XXIème siècle, 2000)、『自由と祖国』(Liberté et patrie, 2002, 共同監督アンヌ=マリー・ミエヴィル)のことか。
[3] P.O.L.から発行されているゴダールのPhrasesシリーズのこと。現在までで6冊が刊行されている。For ever Mozart (1996), 2 x 50 ans de cinéma français (1998), Allemagne neuf zéro (1998), Les Enfants jouent à la Russie (1998), JLG/JLG (1999), Eloge de l'amour (2001)。
[4] オムニバス映画『パリ、ジュテーム』に寄せた一編『Champ Contre Champ』(2002-2003)のことか。参考:「シャン・コントル・シャン - Wikipedia」
[5] 日本でミエヴィルの作品はあまりまとまって公開されない。概要はwikipediaのミエヴィル作品項目など参照。
[6] wikipediaの『私たちの音楽』項目は英語発音での表記でジュディス・ラーナー、オルガ・ブロツキーとなっているが、ここでは仏語発音に即した。
[7] Cahier de Sarajevo (tr. par François Maspero, La nuée bleue, 1993)は、ゴイティソーロのCuaderno de Sarajevo. Anotaciones de un viaje a la barbarie (El País / Aguikar, 1993)の仏訳書。邦訳は『サラエヴォ・ノート』(山道桂子訳、みすず書房、1994)。
[8] ロニー・クラメール演じるラモス・ガルシアによる仏語通訳からの邦訳ではこうなっている。「巨大な破壊力を前に今こそ革命が必要である。破壊に匹敵する創造力の革命だ。記憶を補強し、夢を明確にし、イメージを実体化する」(寺尾次郎訳)。
[9] 1969年にソニー、松下電器、ビクター等が世界初の民生用(家庭用)カセット式VTRの規格「U規格」を発表した。1971年からソニーが発売を開始した商標が「Uマチック」。カセット方式による規格で、民生用として発売された。ソニーのBetamax規格、ビクターのVHS規格よりも優秀な画質を備え、長年にわたって支持された。その後のデジタル記録方式の出現等により、今では使用されていない。2000年にU規格のVTRは生産が終了した。
参考:「U規格 - Wikipedia」
[10] この言葉は、『フォーエヴァー・モォツアルト』序盤で脚本家ハリーが言う「その希求すらも窮状によって追いやられている結果にすぎない(大意)」を思わせる。
[11] Artavazd Pelechian。ウィットの発言箇所ではArthur Pelechianと表記されているが、誤りあるいは西欧風の表記だろうか。『始まり』(原題Skizbe, 仏訳題Au début, 英訳題Beginning, 1967, 10mins)は1917年10月革命の50周年に際してソ連・ロシアの写真群やフィルム断片を用いて制作されたコラージュ映画。やや画質は粗いがYoutubeで見ることができる。地獄篇で『始まり』が使用されているのは、『私たちの音楽』1:37-1:39。
ゴダールにはペレシャンとの対談がある(岡村民夫訳「バベルの塔以前の言語」、『ユリイカ』2002年5月号「特集=ゴダールの世紀」)。ゴダールは『新ドイツ零年』ロシア語版をペレシャンとともに作ったり、『映画史』4Bでは『四季Vremena goda』(1975)の一部を用いた。ペレシャンは1995年10月に来日し、山形国際ドキュメンタリー映画祭に訪れた。赤坂大輔によるそのときのインタヴューがある。imdbでの作品一覧
[12] 「地獄篇」は9分30秒分ある。
[13] モンテスキュー『法の精神』第23編第23章からの引用(邦訳p.387)。
[14] 作中のchamp/contre champのこと。「ショット/切り返しショット」。ただし、champはむしろ英語で言うところのfieldの意味合いの方が強く、shotに相当する単語はplan。そのため、仏語の字義通りに英訳するならばfield/couter-fieldとなるだろう。「光景/対抗する・反対する光景」ぐらいの広い意味がある。
[15] ウィットはここでrapprochmentをそのまま書き写すことで英直訳しているが、英語ではrapprochmentは和解・親善の意味になってしまう。仏語ではこの語はその意味のみならず、より原義には、近づけること/近づくこと、比較対照・関連付けの意味があり、形容詞proche(近い/近接した/近似の)から派生している。仏語のrapprochementを英訳するにはapproximationやconnection, comparisionなどの方が適切かも。
[16] 英語のconciliatoryには和解、懐柔、妥協、融和、なだめるような、の意味が主となるが、仏語のconciliationでは調停・勧解、両立、校訂の意味もあったので、仏語の意味に即して訳した。
[17] ジル・ペクーの発言。邦訳ではこうなっている。「過去を修復し、未来をつくる(…)。苦悩と罪悪感を結び付けること」(寺尾次郎訳)。
[18] 原文は"If the army and the navy/Ever look on Heaven's scenes/They will find the streets are guarded/By United States marines."。邦訳ではこうなっている。「もし海軍と陸軍が天国の情景を見ることがあれば、天国の通りが合衆国海兵隊によって守られているのを見出すだろう」(寺尾次郎訳)。
〔Jean-Luc Godard, «The Godard Interview: I, A Man Of The Image», (interviewed by Michael Witt), Sight and Sound, June 2005.〕
凡例
・小見出しに相当する「○」や「:::::(後略)」は訳者による付加。
・〔〕内は訳者が補った文章。
・[]内は英文原語。
(見た目上煩わしくなってしまうのだが、カーソルを当てると表示される、といった手法はないものなのか)
・注はすべて訳注。

ゴダールの『私たちの音楽』[Notre Musique〔邦題『アワーミュージック』、2004〕]は――そこでは戦争が地獄であり、サラエヴォは煉獄であり、天国は湖畔の田園詩である――その明るい雰囲気が持続するように構築されていない。「それは使い尽くされている・疲れ果てている[exhausted]」と監督はマイケル・ウィットに言う。
ジャン=リュック・ゴダールの明朗で多声的な映画作品『私たちの音楽』は、明るい接触と、深い思考と、形式的な実験における喜びとを結合し、そうすることによって、バルカン半島諸国における戦後の和解といった切迫する現代的問題やパレスチナ人とイスラエル人の間で成熟した相互理解を探求を喚起し、直面させる。『フォーエヴァー・モォツアルト』(1996)や『愛の讃歌』〔邦題『愛の世紀』〕(2001)といった以前の主な二作品よりもエッセイ的な文体で、観客がすぐにとっつきのよさを感じるだろう本作は、三つの王国からなるダンテ的な三連作で組み立てられている。「地獄」(戦争と虐殺[decimation]を描いたファウンド・フッテージのコラージュ)、「煉獄」(現代のサラエヴォ)、「天国」(アメリカ軍に守られた田園詩的な湖畔の森)の三王国だ。作品の核心が当てられている「煉獄」の中心部は、サラエヴォのアンドレ・マルロー・センターで2000年以来毎年開催されている企画であり、ゴダールも2002年に出席した「ヨーロッパ文学の諸遭遇[European Literary Encounters]」[1]を少々フィクション化しつつ再演することにある。
今日のゴダールは伝統的な特徴をもつ映画作家であるのと同じぐらいマルチメディア・アーティストであり、『私たちの音楽』は、過去十年間の膨大な作品――その多くは、長年にわたる同伴者であり映画作家・写真家・作家であるアンヌ=マリー・ミエヴィルとの共同制作で作られたものだ――とのあいだに主題的・文体的な強い親和性を示している。彼の主要作品に加えてこの作品は『(複数の)映画史』〔邦題『ゴダールの映画史』〕を含んでいる(1988-98、現在ヴィデオ、書籍、CDで発表され、また、劇場公開用に設計された90分の「最善の」編集版『(複数の)映画史の選ばれた契機=瞬間』〔邦題『映画史特別編 選ばれた瞬間』〕が発表されている)。6つのさらなるヴィデオエッセーがあり(3つはミエヴィルが共同監督)[2]、視聴覚的作業から派生した「フレーズたち」の6冊の本があり(1つはミエヴィルが共著者)[3]、これまで未発表だった集合的で映画的なパリの肖像となるはずだった短編がある[4]。さらには、ゴダールは時間を見つけてミエヴィルの『わたしたちはみんなまだここにいる[Nous sommes tous encore ici]』(1997)、『和解のあとで[Après la réconciliation]』(邦題『そして愛に至る』, 2000)に出演し[5]、ごく最近では、これまで大いに期待されていた美術館内インスタレーション計画『コラージュ・ド・フランス』を準備中である(ポンピドゥー・センターで2006年4月から6ヶ月間の展示予定)。
「煉獄」の冒頭のショットは「昔々…」と告げ、通過する路面電車に貼られたポスターが「ある日」という文字を示すのを通過する。そして私たちは日常生活を送るサラエヴォの住人を目にし、他所から来る訪問者の多様性を目の当たりにする。その訪問者とは、スペイン人作家のフアン・ゴイティソーロ、パレスチナ人詩人のマフムド・ダルウィーシュ、フランス人著者・彫刻家のピエール・ベルグニウ、フランス人建築家ジル・ペクー(ちょうど映画撮影の時期に彼は、有名な16世紀のモスタル橋の再建計画に責任を負っていた)、ゴダール自身(テキストとイメージについて講義をおこなう)、そして、若いイスラエル人ジャーナリストのジュディット・レルナル(イスラエル人女優サラ・アドラーが絶妙に演じている)、ロシア系のユダヤ・フランス人のオルガ・ボロスキー(フランス人女優ナード・デューが演じている)といったわずかにフィクショナルな登場人物たちだ[6]。多くのシーンではこの第二部の力能[power]を発揮しており――時おりロッセリーニの『ドイツ零年』(1948)を力強く連想させる――、その力能は、近年の戦争〔ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争中のサラエヴォ包囲〕によって傷ついた都市を描いたドキュメンタリー的肖像であることに由来している。
この作品では、サラエヴォの復興[reconstruction]とボスニア戦争の通夜/痕跡[wake]にあるモスタル市とを、世界中の敵対しあう諸勢力の間にある潜在的な和解[potentional reconcliation between warring factions around the globe]の隠喩として探求している。最近にあった過去よりは破局的ではない未来を想像しつつ、作品は楽観的な立場を表明する。多少は恐ろしさの減るだろう未来への不確かな歩み[a tentative step]が対話によって生まれるのを期待しつつ、誠意と率直さで互いに近づきあうサラエヴォの人々の可能性にゴダールは興味を抱く。作中の講義で、アメリカ南北戦争[American Civil War]で1965年に徹底的に破壊された町、ヴァージニア州リッチモンドの写真[image]をゴダールは掲げる。この写真は、ちょうどアメリカ合衆国が現在そうであるよりももっと統一されていなかったことを示す簡単な方法であり、それゆえここには、憎しみで引き裂かれた他の場所〔国々〕にとっての希望があるのだと。
サラエヴォの有名な(1992年にセルビアからの砲撃で破壊された)公共図書館の燃え尽きた残骸のなかに立つゴイティソーロは――彼は1993年のサラエヴォ包囲についての注目すべき目撃証言『サラエヴォ・ノート[Cahier de Sarajevo]』で[7]、欧州連合が大量殺戮を阻止するにあたって決定的な失敗行動をとったことについて激しく非難した――、復讐をではなく蛮行に対抗する創造性の大波を求めて叫ぶ。「私たちの時代に終わりなき破壊の力があるのと同様に、私たちの時代はそれに匹敵する創造力が必要だ。記憶を強化し、夢を明確にし、イメージに実体を与える創造力が。」[8]。
フィクションの人物ジュディットはパレスチナ人とイスラエル人の関係について新鮮な考え方を見つける可能性を求めてサラエヴォに惹かれる。希望に突き動かされた彼女は、強く固定された差異を傍らに置くのを夢に描き、同じ区画の土地において愛を共有することについて簡単な会話をはじめるのを夢に描く。彼女はこう問う、「人はそこから始められるのだろうか――土地から、約束から、許しから?」。『私たちの音楽』は平易な答えを提供するのではなく、もろもろの終わりなき問いを提起する。この30年間の多くのゴダール作品やゴダール&ミエヴィル作品と同じく、受け取られたアイデアの専制に対する防塁として、そして新鮮なパースペクティブを生成する実験場としてこの作品は機能する。
この作品は去年完成した。先日私がロールにあるスタジオへゴダールを訪ねたとき、作品がフランスでたいした興行的収益を上げないだろうことには彼はあまり気にしておらず、批評の反応で質の悪いものが出てくるかどうかについて気にしていた。それは、全体的には、人々は言葉を失うだろうから、と彼が感じているということであり、部分的には、パレスチナとイスラエルの問題をこの作品で取り組んだ[addresses]手法は非伝統的なものだから、と彼は言ったということだ。
〔聞き手:マイケル・ウィット〕
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――この作品で目覚しい印象を覚えるものの一つに、サラエヴォの街路が探求されていることです。これは、ヌーヴェル・ヴァーグにあったドキュメンタリー的な好奇心を想起させるものです。
それは私が保持し続けているものなんだ。友達のアンヌ=マリー・ミエヴィルもそれを持ってて、彼女は現実に存在する事物を撮るように車を撮る方法を知ってる。ヌーヴェル・ヴァーグのとき、私たちは自分たちがよく知ってて関係してた場所に登場人物を歩かせたがった。まあ、今の監督たちは古い街路を何でも使うようだけどね。もし君がブルース・ウィリスが街路にいるのを見たとしても、それは監督やウィリス演ずる人物がその街路を好きだからじゃない。かつて監督はスタジオを使っていた。けれど、私たちは私たちの愛する場所にカメラを歓待[welcome]させたかったんだ。
――この作品はドキュメンタリー的な表現によって、未知のものについて力強い感覚を喚起します。
シナリオは、その前の年に「ヨーロッパ文学の諸遭遇」に参加したときの私の経験に基づいてる。そのときは誰かがヴィデオカメラを使ってそこに来た多様な参加者たちや、作品で再演[re-enact]したような、私が生徒に講義しているのを記録していたようだった。けれども、それ〔映画作品での再演〕はまったく同じものではないだろう、作品には映画制作チームって重みや映画にとってのフィクショナルな装置が必要だった、と感じた。作品で撮った人たちには、サラエヴォには心に触れるものが何かあるのを感じてた。私たちが作った映画は、マイケル・ウィンターボトムの『ウェルカム・トゥ・サラエボ』〔1997〕のような交戦地帯の映画じゃない。たとえば、その映画では、彼はサラエヴォで何も見なかったようだし、彼の見たものはすべてすでに彼が知ってることだったようだ。そうして彼は演劇的な演出を創りあげてしまったというわけだ。
――あまりにも頻繁に映画作家たちは、周囲の世界を調べるために(顕微鏡や望遠鏡、聴診器といった線に沿って)準科学的な道具としてカメラの力を引き出すよりも、前もって決めたことを単に撮影してしまうのだ、とつねづねあなたは提起してきましたね。
人はある事物を見るためにカメラを必要とするんだ。今日の映画作品の大部分は、探求の道具としてのカメラを使わずして撮影されている――撮影の間、分析的な力を導き出すことの代わりに、人々は実に大量の説明で代用するわけです。「これを意図した。これを意図した」と。一方で顕微鏡を用いる科学者や化学者にはその顕微鏡が必要なのです。そしてホークスがロザリンド・ラッセルやケーリー・グラントを撮ったとき、そのためにはカメラが必要だった。彼は本を書いていたわけじゃないんだからさ。
――あなたは世界を記録し研究するためにカメラを用いる大きな必要を今でも感じますか?
うん、現実を分析するのに聴診器を用いるようにね。カメラはある事物を可能にするんだ。文学や絵画は違うし、それらは別の事物を可能にする。
――私がヌーヴェル・ヴァーグと関連付け、あなたの1970年代のUマチック[9]のヴィデオによる探求と関連付ける世界への感受性が、『私たちの音楽』では示されています。これは、再生の新局面がはじまるのを示唆しているんでしょうか?
私の人生や私の知性の軌跡に対応していたヨーロッパについてのあるアイデアの終焉の後、やりなおしたいという欲望があったんだ。私たちがやりなおせるかもしれない可能な出発点というのはあるんだろうか? シネマに関するかぎり、それは見つけられていない。そして、異なった話し方や異なった撮影方法を私たちが身につけているようには見えないわけで、そのような出発点が可能かどうかは疑わしい。〔この事態は〕さしあたり、むしろ終焉に似ている。
――あなたがそんなことを言うとは驚きです。私にとっては、この作品はきわだって明るい調子をもち、前向きですよ。
たしかに他の作品に比べると快活だし、この作品をペシミスティックだと言った人は間違ってる。逆にあまりに子供じみてオプティミスティックなんだ―-だけど、私たちはそのオプティミズムにおいて一年間を生き、今ではそのオプティミスムも使い尽くされて・疲れ果ててしまった[exhausted][10]。
○
――「地獄篇」のモンタージュは、あなたの別の作品のほかの箇所でサンプリングされた多くの作品断片を再加工していて、そのうちの一つはアルメニアの映画作家アルタヴァスト・ペレシャンのモンタージュ作品『始まり[Beginning]』(1967)があります[11]。あなたの象徴的な作品形態においてペレシャンは役に立つ参照点・基準点[point of reference]なんですか?
うん、少なくとも「地獄篇」では。というのは、地獄篇は使った音楽に基づいて構築されてるから。〔地獄編全体は〕10分か12分が必要だとわかっていたので[12]、〔三篇のうち〕この一篇は最後に作った[I did this part last]。私は3、4の音楽の部品を編集することから始め、それから表現したいもろもろのアイデアに対応するイメージを探した。そのアイデアとは、一つ目には、あらゆるところで交戦がつねにあり続けていて、そこでは互いに殺しあう人々がいて、そこに、大洪水[the floods]の後に武装した人間たちが現れ、互いに殺戮しあうことについてのモンテスキューの引用を伴走[accompanied by]させよう、というものだ[13]。二つ目には、戦争の機械[the machinery of war]のイメージが来るというもの。三つ目には、犠牲者たちのイメージが。四つ目には、戦争中のサラエヴォのイメージが。
○
――数年前にあなたの『私たちの音楽』と題された映画作品のシノプシスを見ましたが、それは、マンフレート・アイヒャーのECMレコードにかかわってる音楽家の何人かを訪ねるというアイデアを中心に展開していました。完成された作品にはこの計画の痕跡がほとんどまったくありません。
音楽についてのアイデアは〔完成作品においても〕残った。そのアイデアはサラエヴォに行くまで消えていたんだけど、それはちょうど路面鉄道の軌道に鳴る音がある種の音楽として私たちに聞こえるようなもので、そのため私はそれを『私たちの音楽』と呼んだんだ。すなわち、彼らの、私たちの、みんなの音楽、と。その音楽は私たちを生かすものであったり、私たちに希望を抱かせるものであったりする。人は「私たちの哲学」とか「私たちの生」と言うことができる、しかし「私たちの音楽」はよりうまい言い方だし、そこには異なる作用がある。そしてまたそこには、私たちの音楽のどのような側面がサラエヴォで破壊されたか? という問いがある。そして、サラエヴォにある私たちの音楽にいまだ何がある〔残っている〕のか? という問いが。
○
――あなたの2分間の献辞作品[homage]「たたえられよ、サラエヴォ[Je vous salue, Sarajevo]」(1994)は、ゴイティソーロの『サラエヴォ・ノート』のように、包囲された都市の住人に対するEUのシニシズム、怠惰、無関心への憤慨に満ちています。ゴイティソーロの『ノート』は重要な参照だったのですか?
私はゴイティソーロの作品はよく知らなかったけれど、その小さな『ノート』は、当時私が見つけたヨーロッパ人によるサラエヴォについての本では最良のものだった。
――戦争開始以来、あなたの作品ではしきりにサラエヴォが繰り返し登場してきました。
ちょっと、1968年以前のヴェトナムみたいにね。1968年以前、ヴェトナムについて定期的に言及するのが私の異議申し立て方法[my way of protesting]だったんだ。
――パレスチナ人詩人のマフムード・ダルウィーシュはこの作品ではキー・ポジションを占めています。「煉獄篇」の上演された[staged]ジュディットとのインタヴューでは、イスラエル人ジャーナリストが実際におこなったインタヴューで語った彼の発言を反復します。「なぜパレスチナ人が有名なのかあなたたちにわかりますか? それはあなたたちが私たちの敵だからですよ。私への関心ではなくあなたたちへの関心…。あなたたちは私たちに敗北と有名さをもたらしたのです」。
ダルウィーシュは重要で、それは彼が言うように、イスラエルが重要だからなんだ。しかし、彼がスクリーンに現れるのは、他の人よりも短い。
――かつて『ヒア&ゼア』(1975)でアンヌ=マリー・ミエヴィルと探求したアイデアを、講義においてあなたは再訪します。そのアイデアとは、第二次世界大戦で〔ナチの〕ある強制収容所の瀕死の囚人が「ムスリム〔回教徒、イスラム教徒〕」として描かれたということです。
最初に私は、ラーヴェンスブリュックに収容されていた民族学者にしてレジスタンス闘士のジェルメーヌ・ティヨン[Germaine Tillion]の報告のなかに、たまたまそれを見つけたんだ。物理的な存在として末期に〔死の淵に〕あり、逝きはじめ、死を待ち、自分でできることをおこなう囚人たちのグループのもはや一員ですらなくなった人たちが「ムスリム」と呼ばれたことについて、誰もふれないのを私はいつも驚いていた。その〔ナチの〕ドイツ人たちが彼らをそう呼んだにちがいないのだけど、そのとき私が奇妙に思ったのは、そのドイツ人たちはなぜ「犬」や「ゴミ」という呼び方やユダヤ人やジプシーについて使われてきたあらゆる言葉を使わなかったのか? ということだった。しかし今ではこう思う。瀕死の囚人をムスリムと呼んだのはユダヤ人であり、〔ユダヤ人にとって〕ムスリムは代々の敵だったのであり、生き延びよう[try to survive]としない者たちだったのであり、ユダヤ教・ユダヤ主義[Judaism]に反する者だったのであり、困難に関係なく生き延びるはずの者だったのだ、と。
○
――あなたの講義では、古典的話法の映画に馴染み深い標準的な「ショット/リヴァース-ショット」[14]に荒削りな批評を行う方法としてホークスについて短い議論が提出され、同時にその批評は、真に詩的なイメージを合成・構成[composition]するモデルとして提案されます。
現実の「ショット/リヴァース-ショット」のいい例は、ドイツ人物理学者のヴェルナー・ハイゼンベルクの書いた本から、彼が戦前に友人のニールス・ボーアを訪ね、エルシノア城に着いたのを記した箇所から抜粋した。ここではショットは城であり、リヴァース-ショットは「ハムレットの城」という記述だ。この場合、イメージはテキストによって創られている。それは――二つの星が関係付け[15]られて生み出される星座と同じく――詩人の行為なんだ[It's what poetry does]。
――そして、それが問いを喚起する、と。
それが問いを喚起し、問いのかたちをとって他の応答を招き寄せる[introduces]。その結果、私たちは同じことを何度も重ね重ね言わずに済むというわけだ。
――軽量のデジタルカメラが映画を救うのかと講義で尋ねられるとき、あなたは応えていませんね。
私は、そのシーンを素っ気なく・短く[short]したかった。ともあれ、私にはわからないよ。まずいことに、生徒たちは小型カメラがあれば何か映画作品を撮れると思っている。デジタルカメラのメーカーは(批評家もですが)こう言う、「すばらしい! 誰にでも映画を作れるね!」。違う、映画は誰にでも作れるんじゃない。映画を作ろうと思うことは誰にでもできるし、映画を作ろうと言うことも誰にでもできる。だけど、人が鉛筆を手にしたところで、ラファエロやレンブラントのように描けるわけじゃない。もし作中でこうしたことを私が言ったなら、このシーンはあまりに長くなったことだろう。〔だから、素っ気無く・短くしたんだ〕
――でも、それ〔デジタルカメラの可能性〕を追求しないのなら、どうしてこの問いを作品に残したのですか?
生徒たちが映画学科の学生であり、話しているのが私だからだよ。それに、問いの4分の3は馬鹿らしいものだっただろう。これは、そうすることで生徒が尋ね方を学ぶといった種類の問いなんだよ。
アメリカで講義をしたときのことを思い出すんだけど、そのときある少女を見つけたんだが、その子はきれいで私の注意を引いたんだ。そのとき、私は、集団に対してじゃなくて一個人に対して話しかけた方が、話しやすいのだと気づいたんだ。そのときその子は「ゴダールさん、あなたは云々かんぬん~~~ をあなたは詳しく説明できますか?」と長い質問をしてきた。それから私は一時間にわたって詳しく説明した。ともあれ、私はより一層詳しく説明をしたんだが、気づいたら彼女が自分のファイルケースを抱えてその場を去っていくところだった、ってな結果になってね。君の生徒たちはどうなのかは知らないが、〔これと同じことになるのを〕疑ってしまうね。
――イメージがテキストに支配されていることについての批判を、あなたはこの作品で追求していますが、あなたが提案するのはより両立的な[conciliatory]な姿勢です[16]。
私、イメージの男である私は他者に代わって弁護したんだ[I, a man of the image, was pleading on behalf of the other]、ちょうどセルビア人に代わってボスニア人が弁護するようにね。テキストの名において私は弁護していたんだ。
――あなたはフィルムを本のように他所・他なる場所として描きました。
本じゃなくて、フィルムだ。だけどそれは、本の人たちに向けた言い方だったんだ。「フィルムを本のように見てください」「ただし、読むのではなく、見てください」と。若い人たちはイメージやフィルムを読む方法を学ばなくてはならない、とフランスのある文化大臣が言っている。違う。若い人たちはそれらを見る方法を学ぶ必要がある。読み方を学ぶのは別のことです。
○
――〔地獄篇に挿入されている〕1993年のアマチュアビデオの断片映像では、クロアチア人側からの砲撃の後、モスタル橋が崩壊するのを私たちは目撃しますが、次いで〔煉獄篇では〕ネレトヴァ川から原石を引き揚げる等を含むモスタル橋再建の初期段階を目撃することになります。橋には大きな隠喩的負荷[metaphorical charge]がかけられています。というのは、建築家ジル・ペクーの手がけるその計画は、単に橋を再開する探求ではなく、「過去を修復し未来の可能性を作り、苦しみと罪を結合させる」[17]探求だからです。
それは実行されなかったんだ。ジル・ペクーは首にされ、新しい石や本物っぽい加工材を用いるような、どこにでもありそうな橋を作るクロアチア人がその計画責任者の地位に取って代わった。人がDVDですることと一緒さ―-修復なんだ。石は川から採掘され、それぞれ数字が振られ、そして使われはしなかったんだけど、その石のすべてを私は撮った――しかし、この映画を見る人は石が使われたんだろうと思うだろうね。今ではその石はモスタル市の住民が「石の広場」と呼んでる場所にあるよ。
○
――ジュディットは「煉獄篇」前半の中心にいますが、あなたの講義のあとはトーンが切り替わり、より暗い登場人物であるオルガが次第に目立ってきます。
それはフィクションへの切り替わりなんだ。フランスの批評家には、この二人の少女で混同した人も数人いて、二人の少女がいるのだということさえ気づかなかった人もいた。
――二人の間の関係には、分身的二重化[doubling]の感じ、あるいは二度現れる同一人物の感じがあります。
ここにはたぶんリヴァース-ショットのアイデアがあるんだ――登場人物に対する関係という以上に、二人目の少女は一人目の少女に対するリヴァース-ショットの関係に似ている。そのような二重性だとは考えてなかったけど、そう指摘してくれるのはうれしいね。それは創造的な無意識には欠かせないよ。
初期段階に私が思い描いていたのは、ただ一人の少女の、ユダヤ系イスラエル人ジャーナリストが最後には自殺する、というものだった。でもそれはちょっとやりすぎ[excessive]だったし、〔そのような描き方をしてしまっては、〕爆破するためにテル・アヴィヴ〔事件〕にその登場人物を戻らせるような誘発剤になった。そのときイスラエル人女優のサラ・アドラーはこの少女の役を演じたがっていたけど、自殺の箇所はやりたがらなかったんだ。「違う。私はそんなことはしない。それは〔自殺するというのは〕あなたの考え方であって、私の考え方じゃない」と彼女は言った。そのため、自殺の旅のために他の少女を導入しよう、そっちの方がいいだろうと考えたんだ。こうして、分身的二重化が導入されたわけだけど、単に安易なものにはなっていない。
――あなたの作品では自殺の主題が定期的に繰り返し登場します。オルガは実際に自殺しませんが、死を招き寄せてしまいます[invites death]。自爆めいた身振りをして[by acting like a suicide bombe]――そのとき実際には彼女は本を〔バッグから〕取り出そうとしただけなのですが――平和のためのキャンペーンに注意を引いた際に。
自殺のこの問題は、すでに『中国女』で〔レックス・ド・ブリュインが演ずる〕キリーロフを通じてスケッチしてあった。本作では「煉獄篇」の最後の少し前で、オルガが〔ガルシアと〕会話する際に、ドストエフスキーの同じテキストを再び使った。自殺を興味深い哲学的問題だとみなしたために、彼女は自殺しようと思うわけだ。作品にはこのアイデアを入れようと思っていたが、それはテロリズムの名においてテロリズムを擁護しようと思ってのことじゃないし、その場合は討論に参加しなくてはならないだろう――少なくとも作品のなかで――「しかしあなたは罪も無い[innocent]な人々を殺しているのか?…」「そう、しかしだからあなたは…」「まず私は…」といったようなね。私はひそかにこう考えた、「彼女は、私が自らにできるだろう何かをしなくてはならない」。そして私は、理論的に、哲学的問題として、自殺についてしばしば考えるんだ。
カミュの『シーシュポスの神話』冒頭部のある一節、「真に哲学的な問題は一つしかない、それは自殺だ」が私のなかにずっと滞留していた[has stayed with me]。たとえ私が自殺しようとしても、窓から投身自殺するのを望みはしないだろう、と思っていた―自分で自分を傷つけるのは怖いからね。それに銃の買い方も知らないし、断られるだろうから医者からシアン化合物をもらうこともできない。眠ってるときに絞め殺してくれるほどに私を愛してる? と誰かに尋ねるなんて無理だ。方や私は少しずつ、何らかのテロリストに加担することができたし、テロ活動をはたらいたりすることができたんだ。
だけど、〔たとえテロ活動を実行したとしても〕私はオルガのように失敗することだろう。兵士が三十分後に私を射殺するんだろうなと知って自殺をやりとげるんだろうね――イスラエル兵士は決して射殺しないのだとサラ・アドラーは意見するけども。私の友人である本〔の主旨〕に沿って、平和の名において、それはおこなわれるのだろう。私は一つのイメージであり、友人つまり本を、ポケットに持っている。そして、そうすること〔友人としての本をポケットに持つこと〕ができるのだと私は自分に言い聞かせる。これは批判・批評される[be criticised]だろうと予想していたんだけど、誰もこれについて言及しなかった。それは議論不可能[unchallengeable]なんだ。
――「天国篇」は美しく、現実的で、可笑しくて[funny]、少し悲しいものです。
これは反米[anti-American]だと批評家たちが言ったが、私たちがアメリカ映画で何百回となく耳にした「アメリカ海兵隊賛歌」では、彼ら〔海兵隊〕は言ってるんだ。「もし陸軍と海軍が/天国の情景[scenes]を見渡すならば/天国の街路が/アメリカ合衆国海兵隊に守られているのに気づくだろう」[18]。人々は「それは単なる歌詞だ」って言う。違うよ。
訳注
[1] 日本公開上映時に販売された冊子では「本の出会い」と訳されている。
[2] 何年以降から6作と言ってるのかよくわからないが、『パリの人々』(Parisienne People, 1992, 共同監督アンヌ=マリー・ミエヴィル)、『子どもたちはロシア風に遊ぶ』(Les Enfants jouent à la Russie, 1993)、『たたえられよ、サラエヴォ』(Je vous salue, Sarajevo, 1993)『TNSへのお別れ』(Adieu au TNS, 1996)、『古い場所』(The Old Place, 1998, 共同監督アンヌ=マリー・ミエヴィル)、『二十一世紀の起源』(L'Origine du XXIème siècle, 2000)、『自由と祖国』(Liberté et patrie, 2002, 共同監督アンヌ=マリー・ミエヴィル)のことか。
[3] P.O.L.から発行されているゴダールのPhrasesシリーズのこと。現在までで6冊が刊行されている。For ever Mozart (1996), 2 x 50 ans de cinéma français (1998), Allemagne neuf zéro (1998), Les Enfants jouent à la Russie (1998), JLG/JLG (1999), Eloge de l'amour (2001)。
[4] オムニバス映画『パリ、ジュテーム』に寄せた一編『Champ Contre Champ』(2002-2003)のことか。参考:「シャン・コントル・シャン - Wikipedia」
[5] 日本でミエヴィルの作品はあまりまとまって公開されない。概要はwikipediaのミエヴィル作品項目など参照。
[6] wikipediaの『私たちの音楽』項目は英語発音での表記でジュディス・ラーナー、オルガ・ブロツキーとなっているが、ここでは仏語発音に即した。
[7] Cahier de Sarajevo (tr. par François Maspero, La nuée bleue, 1993)は、ゴイティソーロのCuaderno de Sarajevo. Anotaciones de un viaje a la barbarie (El País / Aguikar, 1993)の仏訳書。邦訳は『サラエヴォ・ノート』(山道桂子訳、みすず書房、1994)。
[8] ロニー・クラメール演じるラモス・ガルシアによる仏語通訳からの邦訳ではこうなっている。「巨大な破壊力を前に今こそ革命が必要である。破壊に匹敵する創造力の革命だ。記憶を補強し、夢を明確にし、イメージを実体化する」(寺尾次郎訳)。
[9] 1969年にソニー、松下電器、ビクター等が世界初の民生用(家庭用)カセット式VTRの規格「U規格」を発表した。1971年からソニーが発売を開始した商標が「Uマチック」。カセット方式による規格で、民生用として発売された。ソニーのBetamax規格、ビクターのVHS規格よりも優秀な画質を備え、長年にわたって支持された。その後のデジタル記録方式の出現等により、今では使用されていない。2000年にU規格のVTRは生産が終了した。
参考:「U規格 - Wikipedia」
[10] この言葉は、『フォーエヴァー・モォツアルト』序盤で脚本家ハリーが言う「その希求すらも窮状によって追いやられている結果にすぎない(大意)」を思わせる。
[11] Artavazd Pelechian。ウィットの発言箇所ではArthur Pelechianと表記されているが、誤りあるいは西欧風の表記だろうか。『始まり』(原題Skizbe, 仏訳題Au début, 英訳題Beginning, 1967, 10mins)は1917年10月革命の50周年に際してソ連・ロシアの写真群やフィルム断片を用いて制作されたコラージュ映画。やや画質は粗いがYoutubeで見ることができる。地獄篇で『始まり』が使用されているのは、『私たちの音楽』1:37-1:39。
ゴダールにはペレシャンとの対談がある(岡村民夫訳「バベルの塔以前の言語」、『ユリイカ』2002年5月号「特集=ゴダールの世紀」)。ゴダールは『新ドイツ零年』ロシア語版をペレシャンとともに作ったり、『映画史』4Bでは『四季Vremena goda』(1975)の一部を用いた。ペレシャンは1995年10月に来日し、山形国際ドキュメンタリー映画祭に訪れた。赤坂大輔によるそのときのインタヴューがある。imdbでの作品一覧
[12] 「地獄篇」は9分30秒分ある。
[13] モンテスキュー『法の精神』第23編第23章からの引用(邦訳p.387)。
[14] 作中のchamp/contre champのこと。「ショット/切り返しショット」。ただし、champはむしろ英語で言うところのfieldの意味合いの方が強く、shotに相当する単語はplan。そのため、仏語の字義通りに英訳するならばfield/couter-fieldとなるだろう。「光景/対抗する・反対する光景」ぐらいの広い意味がある。
[15] ウィットはここでrapprochmentをそのまま書き写すことで英直訳しているが、英語ではrapprochmentは和解・親善の意味になってしまう。仏語ではこの語はその意味のみならず、より原義には、近づけること/近づくこと、比較対照・関連付けの意味があり、形容詞proche(近い/近接した/近似の)から派生している。仏語のrapprochementを英訳するにはapproximationやconnection, comparisionなどの方が適切かも。
[16] 英語のconciliatoryには和解、懐柔、妥協、融和、なだめるような、の意味が主となるが、仏語のconciliationでは調停・勧解、両立、校訂の意味もあったので、仏語の意味に即して訳した。
[17] ジル・ペクーの発言。邦訳ではこうなっている。「過去を修復し、未来をつくる(…)。苦悩と罪悪感を結び付けること」(寺尾次郎訳)。
[18] 原文は"If the army and the navy/Ever look on Heaven's scenes/They will find the streets are guarded/By United States marines."。邦訳ではこうなっている。「もし海軍と陸軍が天国の情景を見ることがあれば、天国の通りが合衆国海兵隊によって守られているのを見出すだろう」(寺尾次郎訳)。
2009年11月3日火曜日
非対称性の操作 - ゴダール『アワーミュージック』
以下は『アワーミュージック』を見た当時、2005.11.15に書かれ、2005.11.17-18に追記された文章の転載である。持田睦さんの「かすかに聞こえる「ノン」の響き」(『Divagation』5号、2009年夏)およびblogコメント欄での興味深い読解に刺激されたので、その当時の考えをもう一度練り直し再考するために引っ張り出した。今後、補注は増やしていくかも。小見出しは今回新たに付し、文章以外の書式はいくぶん改めた。
[2005.11.15]
●映画『アワーミュージック』(Notre Musique, 監督:ジャン=リュック・ゴダール, 2004)
非対称な要素群の配置
ゴダール新作の『アワーミュージック』を見ました。ゴダールが途中で放置していたと思われるいくつかの問題設定が再び一堂に会しているという印象があり、その点で好感を持ったのですが、だからといって何事かの進展や新たな模索がなされたというふうには見えない。
・『For Ever Mozart』ではフランスとサラエヴォの境界が大きかったのですが、今作ではサラエヴォとフランスという二つの場所はそうしたものになっておらず、むしろ煉獄と天国との境界が大きなものになっている。
・ユダヤ人と表象の相互作用
・視線の双方向性と非対称性
・『勝手にしやがれ』ラストのセバーグのショットの問い直しとも見えるショット(今作のキーはこのショットと天国篇の位置付けでしょう)
・外国語が字幕なしで頻出することや仏語が翻訳される言葉として登場すること(車内のシーンから推測できるように、オリヴェイラの『世界の始まりへの旅』が意識されているのは間違いないと思われる)
・執拗な二者関係の設定とその非対称性の提示(オルガとセバーグ(あるいは死者である女性の視線)、フランス系ユダヤ人オルガとスイス人ゴダール、観衆とゴダール、通訳であるレルネルとオルガ、非対称性をめぐるレヴィナスの引用、亡命者たちが会するホテルという場所、アメリカ人&イスラエル人とインディアン&パレスチナ人、死者と死者をとらえるカメラ…etc.)
ゴダールの核心であるこれらの問題設定がこうもはっきり出ているにもかかわらず、何か手ごたえが薄いのが難点に思います。この作品を見たからといってゴダールの可能性と限界をめぐる認識を修正する必要に迫られるような驚きはない。三部構成という、これまでのゴダールの傾向からすると奇妙に思えることや天国篇が短いことや全体構成のバランスの奇妙さにおいて(3つに分ける点では『愛の讃歌』でもそうだったわけですが)、一体次の作品はどうやるのかと興味深くは思えますし、驚きもないわけではないですが、どうしても見なくてはならないほどのものかというと、そうとまでは言えないというところでしょうか[1]。
[2005.11.17追記]
非対称的な要素群から歴史や生存=余生(survie)への接続としての「天国篇」へ
ただし、焦点になるのは来世の話をどう処理するかでしょうね。作中ではオルガの自殺の動機として来世が語られるにすぎないわけですが、これを単に個人的なものとして来世を考えるのか、それとも何らかの歴史性につながるものとして考えるのかで、可能性を模索させれるのではないか。
たまたま、とあるSF小説を読んでいたところだったのですが、未来をどう語るか、未来に対して責任が担保されるようにすることで自殺を抑止することができるのではないか、という一節があり、そこで来世と前世を遺伝子レベルで導入すればいい、という冗談とも本気ともつかない考えが出ていて、奇妙に問題設定が似ているのを感じながら読んでいました。遺伝子レベルの処置がどういうものを指しているのかよくわからないのですが、次世代に向けて破滅を先送りして責任を放棄することがそれによってできなくなるだろう、というような小噺として出てきている。
もともと、『JLG/JLG』でもゴダールは死後の生と文字としてのビデオを重ねていたわけですし、今作においても、かつての死者(セバーグ)と新たな死者(オルガ)が出会う――しかし天国にさえあっても二人は互いを視認することはできない。地獄篇の声はセバーグに相当するのかオルガのものなのかは判然とせず、煉獄篇で「それは何かのイメージだ(…)二人が並んでいる」と語る声はオルガのものだが、ショットの視線はオルガを見ている眼になっている。天国篇のラストのオルガの声にしても、「オルガのいるところまでは見えない」なのであって、この声もまたオルガの声でありながら、おそらくオルガの声ではない。
ならば、この天国の位置は、死後の生=ビデオ・文字としての再生=決定的にすれ違いながら二人が死者となって出会い、同時にそれは前世と現世と来世の接続になっている場所(前世がセバーグあるいは何者かの死者であろうと見ることができても、来世が何者なのかは確定されていない) ということなのでしょう。
というわけで、あの来世云々、自殺云々というのは字面通りに受け止めるよりは、再生とか歴史として接続されることの話なのだ、と試行錯誤したほうが面白くなるのではないか、と思います。その上で、あまりそうは見えない、および、模索や進展があったのかは微妙、というところです。
[2005.11.18追記]
「視点人物」的なものの措定と語りのあり方
・古谷利裕氏が日記で書いている指摘(05/11/10(木))を読んで
> 正直言って、最初の地獄編はまったくのれなくて、本当にゴダールがモンタージュしたのかと疑うくらいの、たんなる「殺戮映像集」にしか思えず、もし「音」がなければどうなっていただろうと思い、凄く嫌な予感がはしったのだけど、
地獄篇というのは一見『映画史』と同じ手法で映像を構成しているようですが、実はやや異なった試みになっているのではないか。
『映画史』では、作業台に載せられる映像群⇔ゴダール というふうにこの間で切り返しが起きているわけですが、地獄篇では姿が映し出されることのない何者かの話者の声が対比されるのみであり、また、映像の特徴が異なっているように見えます。
色彩の調整と構図の変化、挿入される暗転、音楽の起伏によってのみ緊張を持続させているので、単調な印象は確かにあるのですが、地獄篇の半ばあたりから【撮影している側/被写体の死体】という関係を見せる映像が続きます。たとえば、兵士の戯れを撮るカメラ側への兵士の振舞いや、道沿いに積まれた死体を兵士を乗せたトラック側から撮っている映像など。つまり、地獄篇は【不在の声の話者による語り/やや単調な殺戮シーン/死体や殺戮を映している撮影サイドからの一方向的な視線の存在】 というふうに3層構成になっているのではないか。
この3層構成を束ねる声は、はたして何者なのか。映像を作ったオルガ自身の声があのDVDに挿入されていたのか、それとも、あのDVDとは関係のない映像なのか、あの語り手はオルガではない死者である何者かなのか、というふうに宙吊りにされています。
私の自信のない記憶によれば、『映画史』においてそのような関係性を組み上げていく試みはありませんでした。もちろん、この試みがどこまで模索可能なのか、どこまで成功しているのか、さらに試行錯誤できるとすればどのようなものになるのか、と問いは続くのですが。
語りと視線における非人称性、残余となる亡霊
・『勝手にしやがれ』ラストのショットについて
ベルモンドの死の後で、奇妙に表情を欠いたセバーグを真正面からアップで撮っているショットがあります。ゴダール作品のショットというのは、誰かの視点としての主観ショットだとみなせるものは少なく、映っている対象が何かの動作をおこなっているかぎり映像があり、視点が誰であるかはあまり問題ではないのですが、このショットにおいては例外的に、誰かの視点であるかのような印象を強く感じさせるものになっています。
細川晋氏、松浦寿輝氏の両氏もまた、このショットに腑に落ちない引っ掛かりを感じていたようで、かつて言及していたのですが(細川晋『ヌーヴェルヴァーグの時代』エスクァイアマガジンジャパン、1999、pp.22-23;松浦寿輝『ゴダール』筑摩書房、1997、p.119)、このショットは一体誰が見ているのか、観客と映像を媒介している関係は何なのかと戸惑わせる効果があり、いわば映像と観客の間ではしごを外されて空白として突き出されるような感触がある。
『パゾリーニ・ルネサンス』においてパゾリーニショットについて語られている箇所では、ゴダールの試みとは対比されて語られているわけですが、かつてそれを読んだときこう思ったものでした。いや、ゴダールにだってパゾリーニショットと同じ問題系を扱っているショットがあったではないか、あのセバーグのショットはそういうものだったではないか、確かにその後のゴダールにおいてはこの試みは捨てられているようだが、セバーグのショットはパゾリーニショットよりも興味深いものだったのではないか、観客としては「あのショットをさらに模索し、ありえたもう一つのゴダール」を考え、本当に現在のゴダールには接続できるのか考える方が、下手に両者を対立にしてしまうよりよほど試行錯誤のしがいがあるのではないか、と。
松浦氏の『ゴダール』のそれに続くⅤ・Ⅵ章で『JLG/JLG』『新ドイツ零年』を重点的に考察し、『新ドイツ零年』を「ここで世界を見ているのは亡霊だ」と言う(p.159)。風景にひそむ孤独を、世界そのものの孤独とみなし、ベンヤミンの「歴史の天使」を想起させる口調で亡霊の視線が漂っているのだと考察しているわけですが、私はこれを「亡霊」と名指すだけではやや片手落ちなのではないかという疑問をもっていました。
別のかたちでのショットと話者や視点(のような何か)への関係のつけ方がありえずはずで、ゴダールにはそうした模索が失われてしまったのではないか。数々のゴダール作品で【(声を発している)話者=ゴダール】と陥ってしまった陥穽をこえてそれを構想できるのではないか。
そうした意味で、今作『アワーミュージック』でずいぶん久しぶりに取り組まれた「何者かの視線」(地獄篇および煉獄篇のピンボケショット)には好感をもちました。あのピンポケショットは、いわば死者であるセバーグ、あるいはセバーグに特定されない死者である何者か、からの視線によってオルガが見つめられるというショットだったのでしょう。いわば、あのセバーグショットを一旦裏返してさらに新たな問題系を追加したものだったのだと思います。
コメント欄での応答1[2005.11.18]
>ところで、なんでジーン・セバーグなんでしょうか
オルガを見ている人・目線=セバーグ、とまで断言するのは、作品をゴダールの個人史と感傷で回収することになりそうですし、大体セバーグだったとしたらサラエヴォでオルガを見ているというのは理由がないので、「セバーグのショットを連想した」というのが正直なところでした。
ですので、パンフの青山氏の文章を読んだときには、ああ似たような着目をしているな、とは思いましたが、あの目線自体はセバーグと特定することもないんじゃないかと思います。戦地となったサラエヴォの数々の死者たちが、生死の境界にいるオルガを見ているというのが無理のない読解なのではないでしょうか。
ただしそれだと、横にいる目に見えないイメージのことを「見知らぬ女性だ」と女性に特定する理由も薄くなってしまうので、あのイメージはセバーグでもあるのかな、と。
一つ引っかかったのは、来世について語っているオルガが、他方で前世のことは一切気にもとめていないことでした。来世を信じたいのならば、気付いていないだけで自分がまた誰かの来世でもあることを考えそうなものなのですが。
そこで、もしサラエヴォでの戦争だけが戦争ではないという視線がゴダールにあったのならば、オルガ自身も知らない前世であり、オルガの生涯よりも前に死んだ死者であり、かつユダヤ人でもパレスチナ人でもない死者という存在もあるはずで、ゴダールはオルガの二重写しになっている輪郭のあやふやなイメージに、そうした姿のとらえようのない死者を重ねたかったのではないか、と。
80年代以後、『勝手にしやがれ』のラストを見返したゴダールが、早死にしたセバーグの死者としての存在をそのショットから強く喚起され、何らかのモチーフとなって残っていたというシチュエーションは想像しやすい。
とはいえ、同時にあれは名もなく輪郭もはっきりしない死者であることが重要なのだろうと思います[2]。
::::::::::::::::::::
現在時点での補注[2009.11.3]
[1] なぜこのように異様に厳しい口ぶりをとっているのかを説明すると、この当時私が考えていた問題は錯綜していて、今読んでも謎めいた文章になっている上に、断片的な文書からしか読み直しできないのだが、構成とショットとの関係、「ショット」への帰属への軽減とそれによる画面外との経路の作り方、再現前性と観者が翻訳せざるをえない状況にいかに追い込むか、といった問題設定のもとで、(ゴダールに限ったことではないが)ゴダールは奮闘しつつもゴダール自身の手癖や限界などもまた同時にあり、問いを継承しつつも、ゴダールの限界を指摘しつつかたちを変えて再開すべきだ、ということだった。ショット間関係としてのchamp/contre champをめぐる『アワーミュージック』でのくだりは、『映画史』以降明確になるゴダール流のモンタージュ論とゴダールの「ショット」をめぐる手つきからすれば、別段『アワーミュジック』においてわざわざ驚くことでもなく、その意味で私は「手法、モチーフの集大成的なもの」と呼びつつ一蹴することを選んでいた。
私が議論の継続ができていない理由は、つまるところ、わかりにくい問題なので十分に明確に理論的に示すための準備中だから。翻訳と経路と諸構成を問い直す議論をしなくてはならない。
たとえば、近い時期にはこのようなことを発言/記述している。本文を食い尽くすような分量になるが、断片的に並べてみる。灰色字は抜粋箇所、黒字は現在時点での要約や位置づけの類。
"「ゴダールとその作品について語ると、さながらゴダールのようにカッコがつく」んですよ。ほら、いろんなセンスのいい作家を思い出してください、彼らは「ゴダールのようなカッコよさとともにゴダールを語ってしまえている」でしょう。でも、前途を憂うならば、ゴダールをゴールにしない闘争が必要だと思うんです。(...)こうした「語りなおし」さえも巻き込んでしまって、非常に強力な規範になっているでしょう。作品・語り・語り直し・「今こそ」「快活な」…と、あの手この手で魅力的になってて、誰もが規範にしてしまったんです。しかも、一人の講演の語りでも解きほぐしきれないゴダールの織物について語っているという前提でなされているから、[慧眼ある人によってありうる一つとしてその一端を触れる/別の読みを夢想する]という二段構えになっていて、必ずしも「共有・参加」とみなさくても否定しきれない、という気持ちが成立しやすくなっていると思います。"(2004.2.7)
※ 要は、「ゴダール作品を解読」するときに生じやすい罠についての警戒。浅田を筆頭として語ることに淫しているというか、何を問うことを念頭に置いて作品読解をしているのか不明となっているものが多いことについて疑問を持っていた。蓮実・浅田以降、作品読解が「ショットの強度の美学」とでも言うものに一気に傾斜したことが、そうした傾向に拍車を掛けているように思う。また、この頃はまだダニエル・シュミットもダニエル・ユイレも死んでおらず、ロメールが引退してもいなかったが、彼らやゴダールもいつ死んでもおかしくはない、死んだ後で悲哀に満ちた文章や追悼文を書くのは実に容易だが、問いと模索の継承、展開をどうやってするのか、それは現在の惨状からはとても考えられないだろう、騒々しく追悼劇が繰り広げられるような醜態が待ち受けているに違いない、とひしひしと感じていた。病気が噂されていたデリダが他界したのはこの年の後半のことであった。
" 見たところスレイマンの『D.I.』の面白いところは、位置の相互参照性がつかめにくく、老人たちや人種の区別もつきにくく、他方、検問は仮設性が強いし、何度も出てくる検問は実は違う場所なのかもしれないとさえ思えちゃう。また、言葉の交換や移送というのが非常に意図的に導入されているでしょう。バス停の壁にかかれている「あなたに狂ってる」とかの落書きは、誰のものともわからない事態が生じたり、次々、カードとなって病院の壁に貼ってあったり、主人公は気軽にそれを入れ替えたりしちゃう。(...)基本的にある時期以降のゴダールは、どのくらい前のシーンと時間が隔たっているのか・どこなのか、というのがわかんないしね。表示されてても気付かなかったりもするし。名指し・仮設性/無名orどこかわからない場所]での、これまただれなんだかよく分からない人物群による喜劇なのか悲劇なのか判然としないまま滑走する、というやり口はゴダールにもスレイマンにも共通しているのかな。ゴダールのように、モノローグを使わない、だからと言って、ストローブの視線のあり方とも違う、というところでスレイマンは面白い位置にいると思うんですけどね。細かいショットの関係が、不必要に錯綜していて位置がつかみづらい、という側面はスレイマンの方が強いと思いますけどね。ゴダールのは、一つのシーンではショットとショットの位置関係はある程度つかめると思う。(...)ただ、「移動や亡命、時間や記憶の問いを~」と言うだけならたやすい口ぶりなんですよ。どうやって話法を読み直しておくか、ということになるんでしょうね。"(同日)
※ まず、ゴダールのある時期以降の過密な進行の結果、ショット個々が場所や人物の特定性を不分明にしながら疾走することになった。そのとき、そうした特性に陥ったショットのままに、いわゆるゴダールのショットの強度=速度を剥奪させながら、ゴダールはやらないであろう再構築をした場合、どうなるのか。そのような視点で、エリア・スレイマンは明白なゴダールの継承的な作家であるとまず当時みなしている(『パレスチナ・ナウ』で四方田の語る『暗殺へのオマージュ』の特徴を見るかぎり、これは的確な判断だったようだ)。スレイマンの場合、イスラエル/パレスチナという境界の向こう(A)/手前(B)の往復と通過というプロセスが物語を牽引し、このあり方はゴダールの映画の大半で見られる場所A→場所Bというプロットからの変形だろう。『D.I.』に顕著なのは、A/Bの見た目上の識別困難性や、配置される場所の相互関係性・参照性がつかみにくくなっていることだ。また、視点人物の一種の空洞にしてしまう手際が目立ち、これは明らかにモノローグの回避から生じている。そうしたショットと全体的な構図の連関はどのようにありうるか、構図に収束するとは一体何か、そのとき人物はどのように作動させる=戯れさせることが可能になるか、こうしたことを考えていた。
"不在とか画面の外との交渉関係という問題で言うと、(...)「無はゼロじゃなくて、むしろ打ち消しあう緊張状態であって、そうしたかたちで存在と関係をもっている」と(....)。問題は、「画面の外を」作り出すにいたる、画面・音響に現われる諸事物・諸動作や諸音声と、それが画面の外へと糸が放たれて成立するネットワークのプロセスを、どのようにつかみとるか、になるんでしょう。"(2004.2.24)
※ これはたしか、岡崎乾二郎の絵画作品におけるフレームが喪失する感覚や、ゲルハルト・リヒターのアトラス前後期の9枚組写真作品などのようなそれ自体一つのショットとしての輪郭が微振動を続けたまま安定していない作品を念頭に置いて、画面を「画面」として指示できないものにするために、まず画面外という余白で絶えざる作動を続ける差延のようなものを置き、そしてそこから画面をどう位置づけしなおすか、というような話。
"キャメラの問題は、「いかにして見ることを許させるような関係をキャメラと作るか」という問題でもあって、ドキュメンタリーなどでは露骨に撮っていいのか撮ってはいけないのかという選択にもなるわけですが(村落の儀礼とか、人類学で問題になるものでは特に)、それだけではなくロッセリーニのキャメラというのは、「なぜだかポコンと人がいる、それは起こってしまった」というかたちで人が出てくるでしょう、でも、難しいのはそういうショットだけを置いてそれが成り立つのかと言うとどうもそうじゃないんじゃないか、ある種のプロセスの蓄積や組織があって、そういう現われ方をするんじゃないか、とも考えられる。(...)ゴダールでは初期から、『勝手にしやがれ』の時点で、ベルモンドが死ぬときにセバーグがアップで出てくるでしょう。あのショットは「誰が見ているのか・誰を見ているのか」と当惑させるような、立ち止まってしまうようなところがある。あれは、媒介だったものとか、媒介を介してみていたこちら側とかが、ドンと背中を叩かれてしまうようなところがあるんですよね。まぁ、裏にはベルイマンからの系譜もあるのでしょうが…。(...)ゴダールは多分、①ロッセリーニの拡大ともはや媒介さえ見えにくくなる方向、②セバーグのシーンの立ち止まり、③モンタージュと歴史と引用、という方向に展開し、こうしたものが絡み合ってて、それが[見る人が]ゴダールに対峙するときにどこから踏み込めばいいかわかりにくくなっているんじゃないかな。(...)一方で、「誰が媒介しているのか・誰の目か・誰が見ることを許しているのか」という問いをうまく外したかたちで、まず被写体から、という順にしているのがストローブ&ユイレになると思うわけです。つまり、関係の作り方において、順序や許しや契約みたいなものを成立させる過程やその関係がちがっているんだろう。"(2004.3.2)
"「ある光景をみて、「あ、これは映画になりうる」とみなすような目」とは、いわばすべてがショットである、映画とはショットであると受容した結果だとも言える。ただ、私はそのショットにおける時間関係をひたすら組み込みたいんです。一つのショットが一つになりようがないようなかたちで提示することによって、ゴダールの編集の手つきの提示化とは違うかたちで、ショットへの自己言及性を与えれるんじゃないかと思うんですが…。その意味で、交錯してはいるが運動としてはかぎりなく凝固に近い印象を与えるショットの時間としてストローブ作品があるんだと思う。(...)ただ、その場合、ストローブにも限界があるわけですけどね。あの時間進行でなくともよい。止まっていてもいいくらいですから(まあ『セザンヌ』とかだと、映像としては作品の写真があって、言葉が進行するだけだったりしますが……しかし、その「言葉の進行スピード」に頼ってショットが成立している気がする。)(...)あとは速度の問題として音楽が出ているんで、これをより掘り下げるとか。あと、映画における音楽という話には不思議になってないですよね、これ…。あれも不思議なものだというか、私はよくわかんないものなんだけど…。"(2004.10.17)
"ショットとショットの間、ぐらいの集積であれば、話法を成型するまでの自重が生じないのではないか、と思いつつあるんですよ。つまり、ゴダールにおいて話法への問題設定や模索が無いというのは、この意味ではわかりやすい。ゴダールはショットとショットの間のスパンでしか、構成がとれなくなっているのではないか、ということです。スレイマンは、ショットとショットの間の関係を反復させることで話法を形成しましたが、反復のためにはスパンのある作品としての自重が役に立った、と。つまりですね、話法といっても、ショットとショットの間との関連は無いわけではないのですが、ショットとショットの間に視線が行き過ぎると、話法として立ち上がってくる密度の勾配みたいなものまでいたらないうちに模索してしまって、結構危ういのではないか、と思うんですね。(...)
最近、「あれ」と「これ」と視認可能な距離(作品と見るものとの距離 と ショットとショットの間の距離 の二つの意味での距離)だけで問うていると、引っかかる落とし穴もあるのではないか、と疑問に感じているんですよ。前者においては、この「ショット」やこの「マチエル」に目が行き過ぎてしまうのであり、後者においては時間軸に沿った「このショットとあのショット」「このマチエルとあのマチエル」に向かいすぎてしまう。人は、それを見る人の観察力に沿うがゆえに必然だと感じているのですが、私はこれに大きな疑問を感じているのです。(...)
スレイマンとゴダールにおいて、どちらもショットとショットの間があることを振り返って言うと、「ショットとショットの間」においても、話法へと接続するものとそうでないものがあるということです。 そしてその際、おそらく、「「ショットとショットの間」の集積」への連動があるかないか、が鍵になるのではないでしょうか。しかし、そうした多量(無原則に多量であるのではなく適切な量というものがありうるはずですが)/ショットとショットの間、という連動のあり方が、「ショットとショットの間」を集めていけば成立する、といった段階的な処理だけではないのではないか、と思いつつあるわけです。とはいえ、一挙に多量な集積があって、それに触知できるというわけではない。構成要素は、「ショットとショットの間」だけではなく、これまで扱われにくかったような単位も絡んでくるような気がするんです。
(...)つまり、すでにして、ある特定のフレームともう一つの特定のフレームとの交渉関係だけではない、と(...)。と、なると、一度「ショットとショットの間」の集積が密度勾配をなした上で、ふたたび「ショットとショットの間」がその上に乗ってくるといった意味での、話だったわけですね。
(...)「ショットとショットの間」と言ったときにですね、やっぱり私はゴダールの手つきを思い出していたわけですね。ランボーとヴィシーを並べるとき、どっちもプレザンスみたいになっているのだし、非対称な二者が映し出されたとしても、どちらもがプレザンスであるようなところがあるわけですよ。つまり、再演の折込みが実に乏しかった。しかし、1「ショットとショットの間」と、2「「ショットとショットの間」の集積」とを一旦分けて、3「「「ショットとショットの間」の集積」における「ショットとショットの間」」を問わないと、どうにもこうにもやりにくいという感触はあるんですよね。最終的には1と3は絡まりあっているわけですが(4)、いきなり4を語ることは難しく、誤解が多く、また、軽率な混同を生じやすいように思ったのです。"(2005.12.18)
[2] 『21世紀の起源』でセバーグのショットをもって戦争による死者たちをまとめて表象したかのような試みを見るかぎり、ここで推測されたゴダールのこだわり方はおおよそ的を射ていたようだ。
[2005.11.15]
●映画『アワーミュージック』(Notre Musique, 監督:ジャン=リュック・ゴダール, 2004)
非対称な要素群の配置
ゴダール新作の『アワーミュージック』を見ました。ゴダールが途中で放置していたと思われるいくつかの問題設定が再び一堂に会しているという印象があり、その点で好感を持ったのですが、だからといって何事かの進展や新たな模索がなされたというふうには見えない。
・『For Ever Mozart』ではフランスとサラエヴォの境界が大きかったのですが、今作ではサラエヴォとフランスという二つの場所はそうしたものになっておらず、むしろ煉獄と天国との境界が大きなものになっている。
・ユダヤ人と表象の相互作用
・視線の双方向性と非対称性
・『勝手にしやがれ』ラストのセバーグのショットの問い直しとも見えるショット(今作のキーはこのショットと天国篇の位置付けでしょう)
・外国語が字幕なしで頻出することや仏語が翻訳される言葉として登場すること(車内のシーンから推測できるように、オリヴェイラの『世界の始まりへの旅』が意識されているのは間違いないと思われる)
・執拗な二者関係の設定とその非対称性の提示(オルガとセバーグ(あるいは死者である女性の視線)、フランス系ユダヤ人オルガとスイス人ゴダール、観衆とゴダール、通訳であるレルネルとオルガ、非対称性をめぐるレヴィナスの引用、亡命者たちが会するホテルという場所、アメリカ人&イスラエル人とインディアン&パレスチナ人、死者と死者をとらえるカメラ…etc.)
ゴダールの核心であるこれらの問題設定がこうもはっきり出ているにもかかわらず、何か手ごたえが薄いのが難点に思います。この作品を見たからといってゴダールの可能性と限界をめぐる認識を修正する必要に迫られるような驚きはない。三部構成という、これまでのゴダールの傾向からすると奇妙に思えることや天国篇が短いことや全体構成のバランスの奇妙さにおいて(3つに分ける点では『愛の讃歌』でもそうだったわけですが)、一体次の作品はどうやるのかと興味深くは思えますし、驚きもないわけではないですが、どうしても見なくてはならないほどのものかというと、そうとまでは言えないというところでしょうか[1]。
[2005.11.17追記]
非対称的な要素群から歴史や生存=余生(survie)への接続としての「天国篇」へ
ただし、焦点になるのは来世の話をどう処理するかでしょうね。作中ではオルガの自殺の動機として来世が語られるにすぎないわけですが、これを単に個人的なものとして来世を考えるのか、それとも何らかの歴史性につながるものとして考えるのかで、可能性を模索させれるのではないか。
たまたま、とあるSF小説を読んでいたところだったのですが、未来をどう語るか、未来に対して責任が担保されるようにすることで自殺を抑止することができるのではないか、という一節があり、そこで来世と前世を遺伝子レベルで導入すればいい、という冗談とも本気ともつかない考えが出ていて、奇妙に問題設定が似ているのを感じながら読んでいました。遺伝子レベルの処置がどういうものを指しているのかよくわからないのですが、次世代に向けて破滅を先送りして責任を放棄することがそれによってできなくなるだろう、というような小噺として出てきている。
もともと、『JLG/JLG』でもゴダールは死後の生と文字としてのビデオを重ねていたわけですし、今作においても、かつての死者(セバーグ)と新たな死者(オルガ)が出会う――しかし天国にさえあっても二人は互いを視認することはできない。地獄篇の声はセバーグに相当するのかオルガのものなのかは判然とせず、煉獄篇で「それは何かのイメージだ(…)二人が並んでいる」と語る声はオルガのものだが、ショットの視線はオルガを見ている眼になっている。天国篇のラストのオルガの声にしても、「オルガのいるところまでは見えない」なのであって、この声もまたオルガの声でありながら、おそらくオルガの声ではない。
ならば、この天国の位置は、死後の生=ビデオ・文字としての再生=決定的にすれ違いながら二人が死者となって出会い、同時にそれは前世と現世と来世の接続になっている場所(前世がセバーグあるいは何者かの死者であろうと見ることができても、来世が何者なのかは確定されていない) ということなのでしょう。
というわけで、あの来世云々、自殺云々というのは字面通りに受け止めるよりは、再生とか歴史として接続されることの話なのだ、と試行錯誤したほうが面白くなるのではないか、と思います。その上で、あまりそうは見えない、および、模索や進展があったのかは微妙、というところです。
[2005.11.18追記]
「視点人物」的なものの措定と語りのあり方
・古谷利裕氏が日記で書いている指摘(05/11/10(木))を読んで
> 正直言って、最初の地獄編はまったくのれなくて、本当にゴダールがモンタージュしたのかと疑うくらいの、たんなる「殺戮映像集」にしか思えず、もし「音」がなければどうなっていただろうと思い、凄く嫌な予感がはしったのだけど、
地獄篇というのは一見『映画史』と同じ手法で映像を構成しているようですが、実はやや異なった試みになっているのではないか。
『映画史』では、作業台に載せられる映像群⇔ゴダール というふうにこの間で切り返しが起きているわけですが、地獄篇では姿が映し出されることのない何者かの話者の声が対比されるのみであり、また、映像の特徴が異なっているように見えます。
色彩の調整と構図の変化、挿入される暗転、音楽の起伏によってのみ緊張を持続させているので、単調な印象は確かにあるのですが、地獄篇の半ばあたりから【撮影している側/被写体の死体】という関係を見せる映像が続きます。たとえば、兵士の戯れを撮るカメラ側への兵士の振舞いや、道沿いに積まれた死体を兵士を乗せたトラック側から撮っている映像など。つまり、地獄篇は【不在の声の話者による語り/やや単調な殺戮シーン/死体や殺戮を映している撮影サイドからの一方向的な視線の存在】 というふうに3層構成になっているのではないか。
この3層構成を束ねる声は、はたして何者なのか。映像を作ったオルガ自身の声があのDVDに挿入されていたのか、それとも、あのDVDとは関係のない映像なのか、あの語り手はオルガではない死者である何者かなのか、というふうに宙吊りにされています。
私の自信のない記憶によれば、『映画史』においてそのような関係性を組み上げていく試みはありませんでした。もちろん、この試みがどこまで模索可能なのか、どこまで成功しているのか、さらに試行錯誤できるとすればどのようなものになるのか、と問いは続くのですが。
語りと視線における非人称性、残余となる亡霊
・『勝手にしやがれ』ラストのショットについて
ベルモンドの死の後で、奇妙に表情を欠いたセバーグを真正面からアップで撮っているショットがあります。ゴダール作品のショットというのは、誰かの視点としての主観ショットだとみなせるものは少なく、映っている対象が何かの動作をおこなっているかぎり映像があり、視点が誰であるかはあまり問題ではないのですが、このショットにおいては例外的に、誰かの視点であるかのような印象を強く感じさせるものになっています。
細川晋氏、松浦寿輝氏の両氏もまた、このショットに腑に落ちない引っ掛かりを感じていたようで、かつて言及していたのですが(細川晋『ヌーヴェルヴァーグの時代』エスクァイアマガジンジャパン、1999、pp.22-23;松浦寿輝『ゴダール』筑摩書房、1997、p.119)、このショットは一体誰が見ているのか、観客と映像を媒介している関係は何なのかと戸惑わせる効果があり、いわば映像と観客の間ではしごを外されて空白として突き出されるような感触がある。
『パゾリーニ・ルネサンス』においてパゾリーニショットについて語られている箇所では、ゴダールの試みとは対比されて語られているわけですが、かつてそれを読んだときこう思ったものでした。いや、ゴダールにだってパゾリーニショットと同じ問題系を扱っているショットがあったではないか、あのセバーグのショットはそういうものだったではないか、確かにその後のゴダールにおいてはこの試みは捨てられているようだが、セバーグのショットはパゾリーニショットよりも興味深いものだったのではないか、観客としては「あのショットをさらに模索し、ありえたもう一つのゴダール」を考え、本当に現在のゴダールには接続できるのか考える方が、下手に両者を対立にしてしまうよりよほど試行錯誤のしがいがあるのではないか、と。
松浦氏の『ゴダール』のそれに続くⅤ・Ⅵ章で『JLG/JLG』『新ドイツ零年』を重点的に考察し、『新ドイツ零年』を「ここで世界を見ているのは亡霊だ」と言う(p.159)。風景にひそむ孤独を、世界そのものの孤独とみなし、ベンヤミンの「歴史の天使」を想起させる口調で亡霊の視線が漂っているのだと考察しているわけですが、私はこれを「亡霊」と名指すだけではやや片手落ちなのではないかという疑問をもっていました。
別のかたちでのショットと話者や視点(のような何か)への関係のつけ方がありえずはずで、ゴダールにはそうした模索が失われてしまったのではないか。数々のゴダール作品で【(声を発している)話者=ゴダール】と陥ってしまった陥穽をこえてそれを構想できるのではないか。
そうした意味で、今作『アワーミュージック』でずいぶん久しぶりに取り組まれた「何者かの視線」(地獄篇および煉獄篇のピンボケショット)には好感をもちました。あのピンポケショットは、いわば死者であるセバーグ、あるいはセバーグに特定されない死者である何者か、からの視線によってオルガが見つめられるというショットだったのでしょう。いわば、あのセバーグショットを一旦裏返してさらに新たな問題系を追加したものだったのだと思います。
コメント欄での応答1[2005.11.18]
>ところで、なんでジーン・セバーグなんでしょうか
オルガを見ている人・目線=セバーグ、とまで断言するのは、作品をゴダールの個人史と感傷で回収することになりそうですし、大体セバーグだったとしたらサラエヴォでオルガを見ているというのは理由がないので、「セバーグのショットを連想した」というのが正直なところでした。
ですので、パンフの青山氏の文章を読んだときには、ああ似たような着目をしているな、とは思いましたが、あの目線自体はセバーグと特定することもないんじゃないかと思います。戦地となったサラエヴォの数々の死者たちが、生死の境界にいるオルガを見ているというのが無理のない読解なのではないでしょうか。
ただしそれだと、横にいる目に見えないイメージのことを「見知らぬ女性だ」と女性に特定する理由も薄くなってしまうので、あのイメージはセバーグでもあるのかな、と。
一つ引っかかったのは、来世について語っているオルガが、他方で前世のことは一切気にもとめていないことでした。来世を信じたいのならば、気付いていないだけで自分がまた誰かの来世でもあることを考えそうなものなのですが。
そこで、もしサラエヴォでの戦争だけが戦争ではないという視線がゴダールにあったのならば、オルガ自身も知らない前世であり、オルガの生涯よりも前に死んだ死者であり、かつユダヤ人でもパレスチナ人でもない死者という存在もあるはずで、ゴダールはオルガの二重写しになっている輪郭のあやふやなイメージに、そうした姿のとらえようのない死者を重ねたかったのではないか、と。
80年代以後、『勝手にしやがれ』のラストを見返したゴダールが、早死にしたセバーグの死者としての存在をそのショットから強く喚起され、何らかのモチーフとなって残っていたというシチュエーションは想像しやすい。
とはいえ、同時にあれは名もなく輪郭もはっきりしない死者であることが重要なのだろうと思います[2]。
::::::::::::::::::::
現在時点での補注[2009.11.3]
[1] なぜこのように異様に厳しい口ぶりをとっているのかを説明すると、この当時私が考えていた問題は錯綜していて、今読んでも謎めいた文章になっている上に、断片的な文書からしか読み直しできないのだが、構成とショットとの関係、「ショット」への帰属への軽減とそれによる画面外との経路の作り方、再現前性と観者が翻訳せざるをえない状況にいかに追い込むか、といった問題設定のもとで、(ゴダールに限ったことではないが)ゴダールは奮闘しつつもゴダール自身の手癖や限界などもまた同時にあり、問いを継承しつつも、ゴダールの限界を指摘しつつかたちを変えて再開すべきだ、ということだった。ショット間関係としてのchamp/contre champをめぐる『アワーミュージック』でのくだりは、『映画史』以降明確になるゴダール流のモンタージュ論とゴダールの「ショット」をめぐる手つきからすれば、別段『アワーミュジック』においてわざわざ驚くことでもなく、その意味で私は「手法、モチーフの集大成的なもの」と呼びつつ一蹴することを選んでいた。
私が議論の継続ができていない理由は、つまるところ、わかりにくい問題なので十分に明確に理論的に示すための準備中だから。翻訳と経路と諸構成を問い直す議論をしなくてはならない。
たとえば、近い時期にはこのようなことを発言/記述している。本文を食い尽くすような分量になるが、断片的に並べてみる。灰色字は抜粋箇所、黒字は現在時点での要約や位置づけの類。
"「ゴダールとその作品について語ると、さながらゴダールのようにカッコがつく」んですよ。ほら、いろんなセンスのいい作家を思い出してください、彼らは「ゴダールのようなカッコよさとともにゴダールを語ってしまえている」でしょう。でも、前途を憂うならば、ゴダールをゴールにしない闘争が必要だと思うんです。(...)こうした「語りなおし」さえも巻き込んでしまって、非常に強力な規範になっているでしょう。作品・語り・語り直し・「今こそ」「快活な」…と、あの手この手で魅力的になってて、誰もが規範にしてしまったんです。しかも、一人の講演の語りでも解きほぐしきれないゴダールの織物について語っているという前提でなされているから、[慧眼ある人によってありうる一つとしてその一端を触れる/別の読みを夢想する]という二段構えになっていて、必ずしも「共有・参加」とみなさくても否定しきれない、という気持ちが成立しやすくなっていると思います。"(2004.2.7)
※ 要は、「ゴダール作品を解読」するときに生じやすい罠についての警戒。浅田を筆頭として語ることに淫しているというか、何を問うことを念頭に置いて作品読解をしているのか不明となっているものが多いことについて疑問を持っていた。蓮実・浅田以降、作品読解が「ショットの強度の美学」とでも言うものに一気に傾斜したことが、そうした傾向に拍車を掛けているように思う。また、この頃はまだダニエル・シュミットもダニエル・ユイレも死んでおらず、ロメールが引退してもいなかったが、彼らやゴダールもいつ死んでもおかしくはない、死んだ後で悲哀に満ちた文章や追悼文を書くのは実に容易だが、問いと模索の継承、展開をどうやってするのか、それは現在の惨状からはとても考えられないだろう、騒々しく追悼劇が繰り広げられるような醜態が待ち受けているに違いない、とひしひしと感じていた。病気が噂されていたデリダが他界したのはこの年の後半のことであった。
" 見たところスレイマンの『D.I.』の面白いところは、位置の相互参照性がつかめにくく、老人たちや人種の区別もつきにくく、他方、検問は仮設性が強いし、何度も出てくる検問は実は違う場所なのかもしれないとさえ思えちゃう。また、言葉の交換や移送というのが非常に意図的に導入されているでしょう。バス停の壁にかかれている「あなたに狂ってる」とかの落書きは、誰のものともわからない事態が生じたり、次々、カードとなって病院の壁に貼ってあったり、主人公は気軽にそれを入れ替えたりしちゃう。(...)基本的にある時期以降のゴダールは、どのくらい前のシーンと時間が隔たっているのか・どこなのか、というのがわかんないしね。表示されてても気付かなかったりもするし。名指し・仮設性/無名orどこかわからない場所]での、これまただれなんだかよく分からない人物群による喜劇なのか悲劇なのか判然としないまま滑走する、というやり口はゴダールにもスレイマンにも共通しているのかな。ゴダールのように、モノローグを使わない、だからと言って、ストローブの視線のあり方とも違う、というところでスレイマンは面白い位置にいると思うんですけどね。細かいショットの関係が、不必要に錯綜していて位置がつかみづらい、という側面はスレイマンの方が強いと思いますけどね。ゴダールのは、一つのシーンではショットとショットの位置関係はある程度つかめると思う。(...)ただ、「移動や亡命、時間や記憶の問いを~」と言うだけならたやすい口ぶりなんですよ。どうやって話法を読み直しておくか、ということになるんでしょうね。"(同日)
※ まず、ゴダールのある時期以降の過密な進行の結果、ショット個々が場所や人物の特定性を不分明にしながら疾走することになった。そのとき、そうした特性に陥ったショットのままに、いわゆるゴダールのショットの強度=速度を剥奪させながら、ゴダールはやらないであろう再構築をした場合、どうなるのか。そのような視点で、エリア・スレイマンは明白なゴダールの継承的な作家であるとまず当時みなしている(『パレスチナ・ナウ』で四方田の語る『暗殺へのオマージュ』の特徴を見るかぎり、これは的確な判断だったようだ)。スレイマンの場合、イスラエル/パレスチナという境界の向こう(A)/手前(B)の往復と通過というプロセスが物語を牽引し、このあり方はゴダールの映画の大半で見られる場所A→場所Bというプロットからの変形だろう。『D.I.』に顕著なのは、A/Bの見た目上の識別困難性や、配置される場所の相互関係性・参照性がつかみにくくなっていることだ。また、視点人物の一種の空洞にしてしまう手際が目立ち、これは明らかにモノローグの回避から生じている。そうしたショットと全体的な構図の連関はどのようにありうるか、構図に収束するとは一体何か、そのとき人物はどのように作動させる=戯れさせることが可能になるか、こうしたことを考えていた。
"不在とか画面の外との交渉関係という問題で言うと、(...)「無はゼロじゃなくて、むしろ打ち消しあう緊張状態であって、そうしたかたちで存在と関係をもっている」と(....)。問題は、「画面の外を」作り出すにいたる、画面・音響に現われる諸事物・諸動作や諸音声と、それが画面の外へと糸が放たれて成立するネットワークのプロセスを、どのようにつかみとるか、になるんでしょう。"(2004.2.24)
※ これはたしか、岡崎乾二郎の絵画作品におけるフレームが喪失する感覚や、ゲルハルト・リヒターのアトラス前後期の9枚組写真作品などのようなそれ自体一つのショットとしての輪郭が微振動を続けたまま安定していない作品を念頭に置いて、画面を「画面」として指示できないものにするために、まず画面外という余白で絶えざる作動を続ける差延のようなものを置き、そしてそこから画面をどう位置づけしなおすか、というような話。
"キャメラの問題は、「いかにして見ることを許させるような関係をキャメラと作るか」という問題でもあって、ドキュメンタリーなどでは露骨に撮っていいのか撮ってはいけないのかという選択にもなるわけですが(村落の儀礼とか、人類学で問題になるものでは特に)、それだけではなくロッセリーニのキャメラというのは、「なぜだかポコンと人がいる、それは起こってしまった」というかたちで人が出てくるでしょう、でも、難しいのはそういうショットだけを置いてそれが成り立つのかと言うとどうもそうじゃないんじゃないか、ある種のプロセスの蓄積や組織があって、そういう現われ方をするんじゃないか、とも考えられる。(...)ゴダールでは初期から、『勝手にしやがれ』の時点で、ベルモンドが死ぬときにセバーグがアップで出てくるでしょう。あのショットは「誰が見ているのか・誰を見ているのか」と当惑させるような、立ち止まってしまうようなところがある。あれは、媒介だったものとか、媒介を介してみていたこちら側とかが、ドンと背中を叩かれてしまうようなところがあるんですよね。まぁ、裏にはベルイマンからの系譜もあるのでしょうが…。(...)ゴダールは多分、①ロッセリーニの拡大ともはや媒介さえ見えにくくなる方向、②セバーグのシーンの立ち止まり、③モンタージュと歴史と引用、という方向に展開し、こうしたものが絡み合ってて、それが[見る人が]ゴダールに対峙するときにどこから踏み込めばいいかわかりにくくなっているんじゃないかな。(...)一方で、「誰が媒介しているのか・誰の目か・誰が見ることを許しているのか」という問いをうまく外したかたちで、まず被写体から、という順にしているのがストローブ&ユイレになると思うわけです。つまり、関係の作り方において、順序や許しや契約みたいなものを成立させる過程やその関係がちがっているんだろう。"(2004.3.2)
"「ある光景をみて、「あ、これは映画になりうる」とみなすような目」とは、いわばすべてがショットである、映画とはショットであると受容した結果だとも言える。ただ、私はそのショットにおける時間関係をひたすら組み込みたいんです。一つのショットが一つになりようがないようなかたちで提示することによって、ゴダールの編集の手つきの提示化とは違うかたちで、ショットへの自己言及性を与えれるんじゃないかと思うんですが…。その意味で、交錯してはいるが運動としてはかぎりなく凝固に近い印象を与えるショットの時間としてストローブ作品があるんだと思う。(...)ただ、その場合、ストローブにも限界があるわけですけどね。あの時間進行でなくともよい。止まっていてもいいくらいですから(まあ『セザンヌ』とかだと、映像としては作品の写真があって、言葉が進行するだけだったりしますが……しかし、その「言葉の進行スピード」に頼ってショットが成立している気がする。)(...)あとは速度の問題として音楽が出ているんで、これをより掘り下げるとか。あと、映画における音楽という話には不思議になってないですよね、これ…。あれも不思議なものだというか、私はよくわかんないものなんだけど…。"(2004.10.17)
"ショットとショットの間、ぐらいの集積であれば、話法を成型するまでの自重が生じないのではないか、と思いつつあるんですよ。つまり、ゴダールにおいて話法への問題設定や模索が無いというのは、この意味ではわかりやすい。ゴダールはショットとショットの間のスパンでしか、構成がとれなくなっているのではないか、ということです。スレイマンは、ショットとショットの間の関係を反復させることで話法を形成しましたが、反復のためにはスパンのある作品としての自重が役に立った、と。つまりですね、話法といっても、ショットとショットの間との関連は無いわけではないのですが、ショットとショットの間に視線が行き過ぎると、話法として立ち上がってくる密度の勾配みたいなものまでいたらないうちに模索してしまって、結構危ういのではないか、と思うんですね。(...)
最近、「あれ」と「これ」と視認可能な距離(作品と見るものとの距離 と ショットとショットの間の距離 の二つの意味での距離)だけで問うていると、引っかかる落とし穴もあるのではないか、と疑問に感じているんですよ。前者においては、この「ショット」やこの「マチエル」に目が行き過ぎてしまうのであり、後者においては時間軸に沿った「このショットとあのショット」「このマチエルとあのマチエル」に向かいすぎてしまう。人は、それを見る人の観察力に沿うがゆえに必然だと感じているのですが、私はこれに大きな疑問を感じているのです。(...)
スレイマンとゴダールにおいて、どちらもショットとショットの間があることを振り返って言うと、「ショットとショットの間」においても、話法へと接続するものとそうでないものがあるということです。 そしてその際、おそらく、「「ショットとショットの間」の集積」への連動があるかないか、が鍵になるのではないでしょうか。しかし、そうした多量(無原則に多量であるのではなく適切な量というものがありうるはずですが)/ショットとショットの間、という連動のあり方が、「ショットとショットの間」を集めていけば成立する、といった段階的な処理だけではないのではないか、と思いつつあるわけです。とはいえ、一挙に多量な集積があって、それに触知できるというわけではない。構成要素は、「ショットとショットの間」だけではなく、これまで扱われにくかったような単位も絡んでくるような気がするんです。
(...)つまり、すでにして、ある特定のフレームともう一つの特定のフレームとの交渉関係だけではない、と(...)。と、なると、一度「ショットとショットの間」の集積が密度勾配をなした上で、ふたたび「ショットとショットの間」がその上に乗ってくるといった意味での、話だったわけですね。
(...)「ショットとショットの間」と言ったときにですね、やっぱり私はゴダールの手つきを思い出していたわけですね。ランボーとヴィシーを並べるとき、どっちもプレザンスみたいになっているのだし、非対称な二者が映し出されたとしても、どちらもがプレザンスであるようなところがあるわけですよ。つまり、再演の折込みが実に乏しかった。しかし、1「ショットとショットの間」と、2「「ショットとショットの間」の集積」とを一旦分けて、3「「「ショットとショットの間」の集積」における「ショットとショットの間」」を問わないと、どうにもこうにもやりにくいという感触はあるんですよね。最終的には1と3は絡まりあっているわけですが(4)、いきなり4を語ることは難しく、誤解が多く、また、軽率な混同を生じやすいように思ったのです。"(2005.12.18)
[2] 『21世紀の起源』でセバーグのショットをもって戦争による死者たちをまとめて表象したかのような試みを見るかぎり、ここで推測されたゴダールのこだわり方はおおよそ的を射ていたようだ。
2009年4月25日土曜日
十川幸司公開セミナーレポート
十川幸司公開セミナー(UTCP主催、2009.1.14)
おおむね、新著の解説、未読者向けの要約という側面が大きいセミナーだったため、レポートを書く気乗りがあまりしない。気乗りしなくなった理由はもう一つ。
私の新著の読みは、イメージと言語の二重作動、情動の回路のカップリング/デカップリングを反復させることでそれぞれが関与的に自己産出性を高める、といった路線がありうるのではないかというものであり、小説と読みの関係やその再記述化(批評なり何なり)、映画やその記述、といった問題系において出てくる焦点にもなりうるだろう、というものだった。しかし、前者を間接的に質問してる段階で威勢良く空振りに終わり、十川の前著以来の模索は、情動の場を基底において理論形成でまとめあげるみたいなものなのかな、というふうに冷めてしまったのだった。十川テキストを読んでるときの方が高揚してた私というのは何だったのか、とやや悩んでしまう回に。まあそれこそが転移なのかもしれないけど。その契機として、実際に話を聞いてみただけの価値はあったのだとは言えるのだろう。結局自分の問いは自分でやるしかないってことだね。
とはいえ、こぼれ話として関心をもった箇所はいくつもあったのでそれを書く。ただし、最近は守秘義務が厳しくなってるので、あまり明確に語るわけにもいかない/本でも書けないとおっしゃっており、まずそうなところは省こう。[と言いつつも、書き上げてみたら、新著要約以外の内容をほとんど押さえた律儀なレポになっていた]
以下、『精神分析への抵抗』『精神分析』『来るべき精神分析のプログラム』を注記するときは、『抵』『精』『プ』と略記。本読めば知ってるはずのことは要旨の流れ上必要な箇所以外、できるだけ書かない。勝手に読めと。十川論文一覧はこちらにアップロードしておいた。
最終更新2009.1.18
○
【分析理論の形成】
・週5回のカウチ(寝椅子)を使った自由連想の実践が出発点になる。
「今僕が診てる患者で週5回ってのは2,3人のみ。通常は週2,3回ぐらいでやってる」
・日本における精神分析実践の状況
日本ほど精神分析の本が書店に並んでる国も珍しい。世界的にもずば抜けてる。しかしその多くが分析家ではないというズレもずばぬけてる。精神分析実践と知識人の乖離がすごく大きい国。
・精神分析に対する不安、警戒心
「分析されて制作のエネルギーを失うのでは」といった不安を持つ作家や芸術家は多い。たしかに神経症的な動機は競争や制作に結びつくけれど、精神分析はエネルギーを失わせるような実践を目指すようなものじゃない。これはよくある誤解。
・自己分析(教育分析)-治療分析(スーパーヴィジョン) の過程のもとですべての分析家は自己の技法、スタイルを形成する。
強いて言えばフロイトだけが例外。彼は師匠のフリースはいたが、教育分析を受けてないので創始者みたいになってる。[これは『抵』2章p.36の「分析的系譜」の話] 教育分析は同じ分析家を再生産するためじゃなくて、個人の気質、性格、特性を生かすのが望ましい。
セッションの情動関係では椅子の位置から部屋の大きさにいたるまで作用の違いがある。ワロンは「認知では情動が中心機能」と言う。
余談:いわゆる知能障害の多くは情動障害だと思う。情動機能がすぐれてる人は大体すぐれてると思う。
・精神分析理論の時代拘束性
自我心理学に抵抗して自己心理学を提唱したハインツ・コフートがいるが、このように先行研究に対する理論提示はなされる。コフートの理論は共感を重視する、理論的にはフロイトの水準から言えば問題外。しかし、60-70年代のそのようなコフートの模索は、当時のアメリカの自己肯定の潮流ゆえにあっさり忘れられる。時代が変わればその理論も驚かれないという典型例。
ラカン理論にしても、今からみれば時代的な背景がかなりあり、60年代の欲望をめぐる潮流と連携してる。[これは『プ』5章p.158の話]
・分析家の自己のセッション方法論、自己のスタイルは、多くの側面が自身の生理的リズムや個人的体質、思考の気質に拠ってることは否めない。新宮さんも含めてセッション技法の理論化をやるけど、みんな自分のやりやすいようにやってる。当人の生理的リズムや体質があるのを無視して鵜呑みにしちゃだめ。
フロイトの50分セッションにしてもなぜ50分かは根拠ない。彼の体質だった。クラインだってラカンだって自分のやりたいようにやってる。
・ラカンの短時間セッションとラカン個人
『カルチェ・ラカン』というラカンと接してた人の証言を集めたドキュメンタリー映画がいまパリでやってるけど、みんな口をそろえて「5分と座ってられなかった人だった」と言う。下世話な話に聞こえるけど、ラカンが体質的に「待てなかった人」だったってこと。これだけの理由で短時間セッションになったわけじゃないだろうけど、この側面は割と大きい。
[『Quartier Lacan』、Emil Weiss監督作、2001。日本未公開。シナリオ担当のAlain Didier-Weilには同題の書籍あり。(Alain Didier-Weil, Quartier Lacan, Denoel, 2001)]
・ブルース・フィンク『ラカン派精神分析入門』
この本はラカン派のセッション技法についても書かれてる。彼は友達なんであんまり悪口言うわけにもいかないんだけど、一般の分析家からすると「こんなに酷いことやってるのか」という感想になると思う。短時間セッションが正当化されてるけど、説得力感じない。一番説得力があるのが「友達の分析家が短時間セッションやって成功したから僕もやってる」って箇所なんだから困る。「ラカンはそうやったから」って方法論を一緒にしちゃ駄目。自分のスーパーヴァイザーの模倣、同一化をやっちゃってる。
・ラカン派短時間セッション
患者にずっとしゃべらせる。分析家は解釈行為を(行為遂行的に)語って介入したりしない。分析家は沈黙。で、セッションを切り上げるために時間を短くする。
この沈黙・解釈行為しない、というスタイルが一番近いのは自我心理学のセッション。セッション技法としてはラカン派は、彼らが最も批判していた側と似ていく経過をたどった。ラカン派では教育分析、自我心理学では治療分析として顕著にそうなるし、違うところもあるけど、ラカン派セッションに一番近い技法となると自我心理学になる。顕著な差って「短い」ぐらい。
自我心理学と対極になるセッション技法が、クライン、ビオンらの対象関係論の人たち。しかしラカン派のセッション技法はそっちにいかなかった。
【十川の理論形成の順序】
・ラカン・ラカン派は理論形成がテクスト読解中心になっちゃってて、人間の構造、病理形成、解釈による変化の理論モデルをおこなったが、臨床経験の深まりや連動がなくなっちゃってる。認識論的には卓越してるが、臨床的には弱い。
・後期ラカンのトポロジー
トポロジーの議論はアプリオリな経験様式であり、経験を構成する超越論的な審級とされている。この時期のラカン派の本を読むと、ひたすらむすび目の話をやってる。後期ラカンはミレールやラカン派も放り捨ててる。明らかに臨床との接続がなくなり、明確な話にならない。まったく面白くないわけじゃないけど、「何の示唆にもならない」、これは困る。
[配られた資料はセミネール24巻『Le sinthome 1975-1976』の L'invention du réel(現実界の創出)の章の某頁]
・人文的には著名なラカン、人文的には著名じゃないが臨床的に著名なのがビオン。
ビオンの作ったグリッドによる分析経験の定式化。ラカンのRSIにある意味で近い模索で、グリッドを使いながら患者の状態を把握する。直接実用的というわけではないけれども。メンデレーエフの原子の周期表みたいなグリッド。縦軸が認知系、横軸が思考の運動系。ただし、ビオンの理論は終始、セッションにおける心的状態の把握のためにとどまってる。
・イギリス経験論的なクライン~ビオン/カント的超越論のラカン
ビオンとラカンは、フロイト以後最も理論的展開をおこなった2人。
「そこで僕はビオンからオートポイエーシスに行った。ビオンの認知系/運動系は各々相互に独立し、かつ、自己生成的に作動する。ここからたくさんの系列を見出して複合させていけばどうかと。ビオンは高次の経験論を立てたが、さらに展開させてみよう、と。」
「たとえば4章で外傷記憶として現れる死の欲動を、二つの記憶システムの誤作動と論じた[『プ』pp.125-130]。死の欲動については今までたくさんの議論がある。そして現在なされている議論の99%がテクスト読解。そこから見ると素朴に見えるかもしれないけど、記憶システムから議論することにした」
・ラカンの「事後性」
これはもはやラカン以後自明の発想になっていて事後性の論理を用いることに疑いがなくなってきている。しかし事後性とは、現在を優位におく発想ではないか。そこでルーマン経由で、過去のコミュニケーションシステムが現在のコミュニケーションシステムに接続されるというふうに心的作動を考えてみる。これだと現在優位の時間論にならずに済むのでは。
・(小林康夫:「諸回路の作動としてのシステム論と情動関係論の二つがあり、齟齬が生じているように思う。『プ』p.171では情動関係によって十川さんが自己生成しているようにも読める箇所がある。俯瞰的にシステム論をやるのと、自己生成としての情動との間でずれが生じてるのでは。僕はもっと差異化の場を真ん中に持ってきているのを妄想して読んでた。情動は他の3回路をカップリングする回路ではなく、カオス的力能の場にできないか。なるほどシステム論はフロイト初期の局所論的発想の継承をできるだろうが、情動関係は複数の主体の場におけるものなのだから……」)
うーん……。情動は『精』で中心的に扱ったので、今回はあんまり。あと、ラカンを言語論的といって片付けているのはかなりラカンを小さくしてるので、半ば無理矢理のやり方でもある。
【「フロイトの遺産」】
・精神分析の認識論的側面/臨床的側面
フロイトは創始し、かつ、2つを両立した。20世紀後半では2つがラカン、ビオンというふうに分離してしまったが、新たな形でいかに縫合するか。
・システム論を導入したり、脳科学について読んだりしてる。
これは経験科学につなげるということでやってる。ラカンは言語学、数学、論理学を導入したわけだが、精神分析は何らかの科学を参照点にする。フロイトもその意味では同じで、科学者。自然にやっていきましょうってわけにもいかないからなあ。ダニエル・スターンの発達論も参照したが[『プ』1章]、どの分析家も発達論に依拠している。
・精神分析は不思議な学で、フロイトから離れた人は単純な理論になってる。
存命中のフロイトが「異端」と呼んでたのは彼から離れた人たち。コフートは離れた人で、ラカン、ビオンはフロイトに戻った人。なぜフロイトは19世紀の学で発想してるのに今でも通用する手法をやれたんだろう。フーコーはフロイトを権力として批判しちゃうけど、あれだとフロイトの特異性が見れない。なぜ精神分析という言説がこうなってしまうのか。フロイトに戻る以外の方法が見つからない。フロイトってのは何かとてつもないものを発見しちゃった人なんだと思う。「フロイトの遺産」、デリダもよくこう言うけど、これ以外ないんじゃないか。なぜフロイトはそのような地位、原動力になったのだろう。
・精神分析は中年の学といわれる。
ラカンも変貌以前は穏健で非常に常識的だった(加賀乙彦の証言にもある)。が、50歳代になってスタイルを確立する。フロイトもそうだった。彼特有の手法、カウチ、自由連想法が生み出されたのも中年期。「僕もそういう頃になってきたのかもしれない。最近書いてるのはフロイト論。そうしたフロイトへの回帰に僕も入ってきている」
「(別の質問を受けて)僕はラカン派じゃないよ。フロイディアン。ま、分析家はみんなそう自称するんだけど」
【関心事】
・(千葉雅也:「事後性の論理からいくと、いわば経験における直接的なものなどない、としばしばラカン派には言われちゃう。ドゥルージアンがこだわるようなsensation, affectionなど無い、と。しかし、十川さんの論立てでは、一種直接的に作用しているものがある、と。そこでidentification(同一化)はどうなるのか。ラカンだとarticulation、分節化されたデジタルなものによる形成になってるけど。trait unaireにおける同一化とは異なった論理になるのか」)
原理的な同一化の話ですよね。これはまた難しいことを…。主体の生成に同一化が不可欠だってことかな?
(千葉雅也:「そうです」)
システム論の観点をとると、同一化って出てこない。
(千葉雅也:「[『プ』7章]ルジャンドル批判して、エディプスの規範的作動に戻る話になってると。このくだりに感動したのですが、では別のやり方はどうなるのかと」)
だからそのあとでジュネをもってきた。ああ、こうして生きたいなと。変わりたい! とつねづね思ってて。明日起きたら違う人間になりたいってのがある。ジュネみたいに生きられたらいいよね。
・分析セッションと理想像について
セッションでは理想像をもってるとまずい。ラカンの症例で、患者がどんどんアンティゴネーみたいになっていくのがありますよね。なるわけないですよ。これは逆転移が起きてて、一種の分析家の権力の乱用。そういうのはよくない。
(桑田光平:「「変わりたい」という理想像も臨床的影響もっちゃうのでは」)
もちろんある。でも、価値観、価値判断のない人はいないから。自覚してればいいんじゃないかな。同時に「変わらなくてもいい」という気持ちだって当然あるし。
・ドゥルーズの言うように「歌ってる間だけ世界は変わる」とかね。
最近、フォルスター[?よく聞き取れず]の小説ばかり読んでる。彼の作品は別の人になる話ばかり。神経症の人は現実は一つだと思ってるけど、そうじゃない[『プ』p.160]。自分のポジションを変えること。柄谷行人みたいな話だけど、最近、フロイトのユーモア論について考えてる。フロイトは「現実をまた違った角度から見る方法。これが人間の最も高貴なものだ」と。
「いま書いてるフロイト論はユーモアについて。癌に冒されてもあたかも自分の苦境を他人のように生きられるか」
【執筆過程についてのこぼれ話】
・『プ』3章の認知的エディプス/規範的エディプスの議論
「最初はエディプスについて論じるつもりはなかった。書いてるうちに、これしかない、という気になった。認知的エディプスってのは欲動の回路が情動の回路に調整されること。認知と言っても知的理解という意味じゃなくて、他者を創造していくもの。力の発露であり、複数的なあり方を可能にさせる。まあ、こういう言い方で「認知的」というのはまずい、と大澤真幸さんには言われましたが…」
・『プ』4章の「可塑性」(カトリーヌ・マラブー)導入
「これを導入するのにはかなり警戒があった。取り入れるのはリスクが高い。なんだか単純な話にも見えるし。迷ったんだけど、とりあえず、これで行こう、と」
・[表紙などで用いられた]木本圭子の作品Imaginary Numbersについて
「大体ものを書くとき、終わりの方で音楽が浮かんでくると、ものができる。今回の本の場合、この絵が浮かんできた。別に本の内容上関連があるわけじゃないけど、イメージとして参考になった」
「精神分析的な経験の図示としてこの絵が一番ぴったりだと思った。コンピュータに詳しい人なら見てわかると思いますが、乱数表は使われていない作動の絵。だから予想がつくのに、不意に形が出てきて、エモーショナルな感動を与える。このような関係がまさに精神分析的ではないかと」
おおむね、新著の解説、未読者向けの要約という側面が大きいセミナーだったため、レポートを書く気乗りがあまりしない。気乗りしなくなった理由はもう一つ。
私の新著の読みは、イメージと言語の二重作動、情動の回路のカップリング/デカップリングを反復させることでそれぞれが関与的に自己産出性を高める、といった路線がありうるのではないかというものであり、小説と読みの関係やその再記述化(批評なり何なり)、映画やその記述、といった問題系において出てくる焦点にもなりうるだろう、というものだった。しかし、前者を間接的に質問してる段階で威勢良く空振りに終わり、十川の前著以来の模索は、情動の場を基底において理論形成でまとめあげるみたいなものなのかな、というふうに冷めてしまったのだった。十川テキストを読んでるときの方が高揚してた私というのは何だったのか、とやや悩んでしまう回に。まあそれこそが転移なのかもしれないけど。その契機として、実際に話を聞いてみただけの価値はあったのだとは言えるのだろう。結局自分の問いは自分でやるしかないってことだね。
とはいえ、こぼれ話として関心をもった箇所はいくつもあったのでそれを書く。ただし、最近は守秘義務が厳しくなってるので、あまり明確に語るわけにもいかない/本でも書けないとおっしゃっており、まずそうなところは省こう。[と言いつつも、書き上げてみたら、新著要約以外の内容をほとんど押さえた律儀なレポになっていた]
以下、『精神分析への抵抗』『精神分析』『来るべき精神分析のプログラム』を注記するときは、『抵』『精』『プ』と略記。本読めば知ってるはずのことは要旨の流れ上必要な箇所以外、できるだけ書かない。勝手に読めと。十川論文一覧はこちらにアップロードしておいた。
最終更新2009.1.18
○
【分析理論の形成】
・週5回のカウチ(寝椅子)を使った自由連想の実践が出発点になる。
「今僕が診てる患者で週5回ってのは2,3人のみ。通常は週2,3回ぐらいでやってる」
・日本における精神分析実践の状況
日本ほど精神分析の本が書店に並んでる国も珍しい。世界的にもずば抜けてる。しかしその多くが分析家ではないというズレもずばぬけてる。精神分析実践と知識人の乖離がすごく大きい国。
・精神分析に対する不安、警戒心
「分析されて制作のエネルギーを失うのでは」といった不安を持つ作家や芸術家は多い。たしかに神経症的な動機は競争や制作に結びつくけれど、精神分析はエネルギーを失わせるような実践を目指すようなものじゃない。これはよくある誤解。
・自己分析(教育分析)-治療分析(スーパーヴィジョン) の過程のもとですべての分析家は自己の技法、スタイルを形成する。
強いて言えばフロイトだけが例外。彼は師匠のフリースはいたが、教育分析を受けてないので創始者みたいになってる。[これは『抵』2章p.36の「分析的系譜」の話] 教育分析は同じ分析家を再生産するためじゃなくて、個人の気質、性格、特性を生かすのが望ましい。
セッションの情動関係では椅子の位置から部屋の大きさにいたるまで作用の違いがある。ワロンは「認知では情動が中心機能」と言う。
余談:いわゆる知能障害の多くは情動障害だと思う。情動機能がすぐれてる人は大体すぐれてると思う。
・精神分析理論の時代拘束性
自我心理学に抵抗して自己心理学を提唱したハインツ・コフートがいるが、このように先行研究に対する理論提示はなされる。コフートの理論は共感を重視する、理論的にはフロイトの水準から言えば問題外。しかし、60-70年代のそのようなコフートの模索は、当時のアメリカの自己肯定の潮流ゆえにあっさり忘れられる。時代が変わればその理論も驚かれないという典型例。
ラカン理論にしても、今からみれば時代的な背景がかなりあり、60年代の欲望をめぐる潮流と連携してる。[これは『プ』5章p.158の話]
・分析家の自己のセッション方法論、自己のスタイルは、多くの側面が自身の生理的リズムや個人的体質、思考の気質に拠ってることは否めない。新宮さんも含めてセッション技法の理論化をやるけど、みんな自分のやりやすいようにやってる。当人の生理的リズムや体質があるのを無視して鵜呑みにしちゃだめ。
フロイトの50分セッションにしてもなぜ50分かは根拠ない。彼の体質だった。クラインだってラカンだって自分のやりたいようにやってる。
・ラカンの短時間セッションとラカン個人
『カルチェ・ラカン』というラカンと接してた人の証言を集めたドキュメンタリー映画がいまパリでやってるけど、みんな口をそろえて「5分と座ってられなかった人だった」と言う。下世話な話に聞こえるけど、ラカンが体質的に「待てなかった人」だったってこと。これだけの理由で短時間セッションになったわけじゃないだろうけど、この側面は割と大きい。
[『Quartier Lacan』、Emil Weiss監督作、2001。日本未公開。シナリオ担当のAlain Didier-Weilには同題の書籍あり。(Alain Didier-Weil, Quartier Lacan, Denoel, 2001)]
・ブルース・フィンク『ラカン派精神分析入門』
この本はラカン派のセッション技法についても書かれてる。彼は友達なんであんまり悪口言うわけにもいかないんだけど、一般の分析家からすると「こんなに酷いことやってるのか」という感想になると思う。短時間セッションが正当化されてるけど、説得力感じない。一番説得力があるのが「友達の分析家が短時間セッションやって成功したから僕もやってる」って箇所なんだから困る。「ラカンはそうやったから」って方法論を一緒にしちゃ駄目。自分のスーパーヴァイザーの模倣、同一化をやっちゃってる。
・ラカン派短時間セッション
患者にずっとしゃべらせる。分析家は解釈行為を(行為遂行的に)語って介入したりしない。分析家は沈黙。で、セッションを切り上げるために時間を短くする。
この沈黙・解釈行為しない、というスタイルが一番近いのは自我心理学のセッション。セッション技法としてはラカン派は、彼らが最も批判していた側と似ていく経過をたどった。ラカン派では教育分析、自我心理学では治療分析として顕著にそうなるし、違うところもあるけど、ラカン派セッションに一番近い技法となると自我心理学になる。顕著な差って「短い」ぐらい。
自我心理学と対極になるセッション技法が、クライン、ビオンらの対象関係論の人たち。しかしラカン派のセッション技法はそっちにいかなかった。
【十川の理論形成の順序】
・ラカン・ラカン派は理論形成がテクスト読解中心になっちゃってて、人間の構造、病理形成、解釈による変化の理論モデルをおこなったが、臨床経験の深まりや連動がなくなっちゃってる。認識論的には卓越してるが、臨床的には弱い。
・後期ラカンのトポロジー
トポロジーの議論はアプリオリな経験様式であり、経験を構成する超越論的な審級とされている。この時期のラカン派の本を読むと、ひたすらむすび目の話をやってる。後期ラカンはミレールやラカン派も放り捨ててる。明らかに臨床との接続がなくなり、明確な話にならない。まったく面白くないわけじゃないけど、「何の示唆にもならない」、これは困る。
[配られた資料はセミネール24巻『Le sinthome 1975-1976』の L'invention du réel(現実界の創出)の章の某頁]
・人文的には著名なラカン、人文的には著名じゃないが臨床的に著名なのがビオン。
ビオンの作ったグリッドによる分析経験の定式化。ラカンのRSIにある意味で近い模索で、グリッドを使いながら患者の状態を把握する。直接実用的というわけではないけれども。メンデレーエフの原子の周期表みたいなグリッド。縦軸が認知系、横軸が思考の運動系。ただし、ビオンの理論は終始、セッションにおける心的状態の把握のためにとどまってる。
・イギリス経験論的なクライン~ビオン/カント的超越論のラカン
ビオンとラカンは、フロイト以後最も理論的展開をおこなった2人。
「そこで僕はビオンからオートポイエーシスに行った。ビオンの認知系/運動系は各々相互に独立し、かつ、自己生成的に作動する。ここからたくさんの系列を見出して複合させていけばどうかと。ビオンは高次の経験論を立てたが、さらに展開させてみよう、と。」
「たとえば4章で外傷記憶として現れる死の欲動を、二つの記憶システムの誤作動と論じた[『プ』pp.125-130]。死の欲動については今までたくさんの議論がある。そして現在なされている議論の99%がテクスト読解。そこから見ると素朴に見えるかもしれないけど、記憶システムから議論することにした」
・ラカンの「事後性」
これはもはやラカン以後自明の発想になっていて事後性の論理を用いることに疑いがなくなってきている。しかし事後性とは、現在を優位におく発想ではないか。そこでルーマン経由で、過去のコミュニケーションシステムが現在のコミュニケーションシステムに接続されるというふうに心的作動を考えてみる。これだと現在優位の時間論にならずに済むのでは。
・(小林康夫:「諸回路の作動としてのシステム論と情動関係論の二つがあり、齟齬が生じているように思う。『プ』p.171では情動関係によって十川さんが自己生成しているようにも読める箇所がある。俯瞰的にシステム論をやるのと、自己生成としての情動との間でずれが生じてるのでは。僕はもっと差異化の場を真ん中に持ってきているのを妄想して読んでた。情動は他の3回路をカップリングする回路ではなく、カオス的力能の場にできないか。なるほどシステム論はフロイト初期の局所論的発想の継承をできるだろうが、情動関係は複数の主体の場におけるものなのだから……」)
うーん……。情動は『精』で中心的に扱ったので、今回はあんまり。あと、ラカンを言語論的といって片付けているのはかなりラカンを小さくしてるので、半ば無理矢理のやり方でもある。
【「フロイトの遺産」】
・精神分析の認識論的側面/臨床的側面
フロイトは創始し、かつ、2つを両立した。20世紀後半では2つがラカン、ビオンというふうに分離してしまったが、新たな形でいかに縫合するか。
・システム論を導入したり、脳科学について読んだりしてる。
これは経験科学につなげるということでやってる。ラカンは言語学、数学、論理学を導入したわけだが、精神分析は何らかの科学を参照点にする。フロイトもその意味では同じで、科学者。自然にやっていきましょうってわけにもいかないからなあ。ダニエル・スターンの発達論も参照したが[『プ』1章]、どの分析家も発達論に依拠している。
・精神分析は不思議な学で、フロイトから離れた人は単純な理論になってる。
存命中のフロイトが「異端」と呼んでたのは彼から離れた人たち。コフートは離れた人で、ラカン、ビオンはフロイトに戻った人。なぜフロイトは19世紀の学で発想してるのに今でも通用する手法をやれたんだろう。フーコーはフロイトを権力として批判しちゃうけど、あれだとフロイトの特異性が見れない。なぜ精神分析という言説がこうなってしまうのか。フロイトに戻る以外の方法が見つからない。フロイトってのは何かとてつもないものを発見しちゃった人なんだと思う。「フロイトの遺産」、デリダもよくこう言うけど、これ以外ないんじゃないか。なぜフロイトはそのような地位、原動力になったのだろう。
・精神分析は中年の学といわれる。
ラカンも変貌以前は穏健で非常に常識的だった(加賀乙彦の証言にもある)。が、50歳代になってスタイルを確立する。フロイトもそうだった。彼特有の手法、カウチ、自由連想法が生み出されたのも中年期。「僕もそういう頃になってきたのかもしれない。最近書いてるのはフロイト論。そうしたフロイトへの回帰に僕も入ってきている」
「(別の質問を受けて)僕はラカン派じゃないよ。フロイディアン。ま、分析家はみんなそう自称するんだけど」
【関心事】
・(千葉雅也:「事後性の論理からいくと、いわば経験における直接的なものなどない、としばしばラカン派には言われちゃう。ドゥルージアンがこだわるようなsensation, affectionなど無い、と。しかし、十川さんの論立てでは、一種直接的に作用しているものがある、と。そこでidentification(同一化)はどうなるのか。ラカンだとarticulation、分節化されたデジタルなものによる形成になってるけど。trait unaireにおける同一化とは異なった論理になるのか」)
原理的な同一化の話ですよね。これはまた難しいことを…。主体の生成に同一化が不可欠だってことかな?
(千葉雅也:「そうです」)
システム論の観点をとると、同一化って出てこない。
(千葉雅也:「[『プ』7章]ルジャンドル批判して、エディプスの規範的作動に戻る話になってると。このくだりに感動したのですが、では別のやり方はどうなるのかと」)
だからそのあとでジュネをもってきた。ああ、こうして生きたいなと。変わりたい! とつねづね思ってて。明日起きたら違う人間になりたいってのがある。ジュネみたいに生きられたらいいよね。
・分析セッションと理想像について
セッションでは理想像をもってるとまずい。ラカンの症例で、患者がどんどんアンティゴネーみたいになっていくのがありますよね。なるわけないですよ。これは逆転移が起きてて、一種の分析家の権力の乱用。そういうのはよくない。
(桑田光平:「「変わりたい」という理想像も臨床的影響もっちゃうのでは」)
もちろんある。でも、価値観、価値判断のない人はいないから。自覚してればいいんじゃないかな。同時に「変わらなくてもいい」という気持ちだって当然あるし。
・ドゥルーズの言うように「歌ってる間だけ世界は変わる」とかね。
最近、フォルスター[?よく聞き取れず]の小説ばかり読んでる。彼の作品は別の人になる話ばかり。神経症の人は現実は一つだと思ってるけど、そうじゃない[『プ』p.160]。自分のポジションを変えること。柄谷行人みたいな話だけど、最近、フロイトのユーモア論について考えてる。フロイトは「現実をまた違った角度から見る方法。これが人間の最も高貴なものだ」と。
「いま書いてるフロイト論はユーモアについて。癌に冒されてもあたかも自分の苦境を他人のように生きられるか」
【執筆過程についてのこぼれ話】
・『プ』3章の認知的エディプス/規範的エディプスの議論
「最初はエディプスについて論じるつもりはなかった。書いてるうちに、これしかない、という気になった。認知的エディプスってのは欲動の回路が情動の回路に調整されること。認知と言っても知的理解という意味じゃなくて、他者を創造していくもの。力の発露であり、複数的なあり方を可能にさせる。まあ、こういう言い方で「認知的」というのはまずい、と大澤真幸さんには言われましたが…」
・『プ』4章の「可塑性」(カトリーヌ・マラブー)導入
「これを導入するのにはかなり警戒があった。取り入れるのはリスクが高い。なんだか単純な話にも見えるし。迷ったんだけど、とりあえず、これで行こう、と」
・[表紙などで用いられた]木本圭子の作品Imaginary Numbersについて
「大体ものを書くとき、終わりの方で音楽が浮かんでくると、ものができる。今回の本の場合、この絵が浮かんできた。別に本の内容上関連があるわけじゃないけど、イメージとして参考になった」
「精神分析的な経験の図示としてこの絵が一番ぴったりだと思った。コンピュータに詳しい人なら見てわかると思いますが、乱数表は使われていない作動の絵。だから予想がつくのに、不意に形が出てきて、エモーショナルな感動を与える。このような関係がまさに精神分析的ではないかと」
2009年1月29日木曜日
雑記20 お手製書誌置き場を作った
テキストファイル置き場 @ uploader.jp
某所でそれぞれ公開したりあげたりしていたものをまとめてアップロードしておいた。2年ぐらいは優に保存されているようなのでzShareよりは保つだろう。需要があるのかないのかも、ダウンロードされているのかされていないのかも、確認できない仕様になってるけど、渡したときは各所でそれなりに好評だったので、ネットで確認できるものとしては上々のはずだ。
先日一段落したデリダリストをアップするために作ったのだけれど、ついでにこれまでに作ったもののいくつかもアップしておいた。今の時点ではデリダリストがキモではないかと。主著は当然としてすでにデリダ読み込んだ人向けの、とても初学者にはお勧めできない充実振り。あまり読んでない人はこのデリダ書誌など見向きもせずに、主著から読んでいくこと。
最近はリスト作成をあまりやることもないので、この場所に新規アップロード候補もなくその作成するつもりもない。記事にするには量がありすぎる+書式を維持できない という理由から別枠にしたかったのでこういうかたちになった。今後このアップローダーを駆使するわけではないので、ご期待はなさらずに。
●
ひさしぶりにPeter Krapp編のデリダ音声・映像記録コーナーを見ていたら、カリフォルニア大学アーヴィン校のデリダアーカイブへのリンクがあった(音声・映像類は上記リストではあまり対応していない)。『環』別冊デリダ特集の浅利誠の記事によれば、講義録のテープ、ビデオをはじめとする資料類はここに結集しているとのことだが、中身までは公開していないけれども資料類の一覧などは閲覧できるようだ。
書誌リストでも記載しておいたが、セミネールの一巻『獣と主権者』が去年刊行された。原宏之によるとガリレーからすべての講義録が刊行される編集委員会が設置されたのこと(原宏之「ジャック・デリダと政治的なもの」[ブログ記事. 2008.12.20])。
● 追記(2009.6.5)
アップローダーの仕様変更にともなって、アップされてるファイルが全部消えちゃったので、やり直し。デリダと十川の書誌と、できているsrtファイルの書庫だけアップロードしておきました。
某所でそれぞれ公開したりあげたりしていたものをまとめてアップロードしておいた。2年ぐらいは優に保存されているようなのでzShareよりは保つだろう。需要があるのかないのかも、ダウンロードされているのかされていないのかも、確認できない仕様になってるけど、渡したときは各所でそれなりに好評だったので、ネットで確認できるものとしては上々のはずだ。
先日一段落したデリダリストをアップするために作ったのだけれど、ついでにこれまでに作ったもののいくつかもアップしておいた。今の時点ではデリダリストがキモではないかと。主著は当然としてすでにデリダ読み込んだ人向けの、とても初学者にはお勧めできない充実振り。あまり読んでない人はこのデリダ書誌など見向きもせずに、主著から読んでいくこと。
最近はリスト作成をあまりやることもないので、この場所に新規アップロード候補もなくその作成するつもりもない。記事にするには量がありすぎる+書式を維持できない という理由から別枠にしたかったのでこういうかたちになった。今後このアップローダーを駆使するわけではないので、ご期待はなさらずに。
●
ひさしぶりにPeter Krapp編のデリダ音声・映像記録コーナーを見ていたら、カリフォルニア大学アーヴィン校のデリダアーカイブへのリンクがあった(音声・映像類は上記リストではあまり対応していない)。『環』別冊デリダ特集の浅利誠の記事によれば、講義録のテープ、ビデオをはじめとする資料類はここに結集しているとのことだが、中身までは公開していないけれども資料類の一覧などは閲覧できるようだ。
書誌リストでも記載しておいたが、セミネールの一巻『獣と主権者』が去年刊行された。原宏之によるとガリレーからすべての講義録が刊行される編集委員会が設置されたのこと(原宏之「ジャック・デリダと政治的なもの」[ブログ記事. 2008.12.20])。
● 追記(2009.6.5)
アップローダーの仕様変更にともなって、アップされてるファイルが全部消えちゃったので、やり直し。デリダと十川の書誌と、できているsrtファイルの書庫だけアップロードしておきました。
2008年12月29日月曜日
雑記19 心惹かれるブログ2
Uoh!というブログがある。
パヴェーゼに興味を持ち、岩波書店によるパヴェーゼ全集企画を耳にしたことをきっかけに(ただし残念ながら選集といった企画である)、一体いままでの訳にはどんなものがあるのかと探している途中で見つけた。そのときに他に出会ったのがnos氏のブログだった。Uohの持田氏は未だ未邦訳のパヴェーゼ『レウコとの対話』を2008年6月から断続的にブログ上で邦訳しており(2008年12月現在、27編中9編が邦訳されている)、その持続性、パヴェーゼを読むためにイタリア語をやり出したという歩みには驚嘆させられる。
とりわけ注目すべきは、ヘルダーリン、ハイデガーに親しみ、パヴェーゼと厳しく格闘するさなかにある者ゆえのストローブ単独監督作『アルテミスの膝』への鋭い指摘である(08.12.15)。かくも目を開かしめるストローブ作品評に出会うのはきわめて稀なことであり、私自身すら力強く叱咤されたかのような気持ちになった。ストローブ&ユイレ作品はいまなおろくに議論されていないのだと言ってよい。
「分からないことを口にするのはよろしくないことです。分からないことを分かっているかのような口ぶりで語るのはさらによろしくありません。だからと言って分からないことを分からないままにして押し黙るのも意気地のないことですし、分からないことから完全に目を背けてしまうのは卑怯な場合さえあるでしょう。分からないことを前にしたら分かろうとしなければなりません。分かるまでその場に立ちつづけなければなりません。」(08.12.20)。
この一節には少なからず心を揺さぶられ、泣きそうになった。感動のみならず自らの羞恥心によって。
ピンダロス/ヘルダリン『第三オリュンピア/ピューティア祝勝歌』を原案とする戯曲『SoPrates』に持田氏は演出・翻訳・編集として参加しているようだ。一体どんな作品なのだろう。
パヴェーゼに興味を持ち、岩波書店によるパヴェーゼ全集企画を耳にしたことをきっかけに(ただし残念ながら選集といった企画である)、一体いままでの訳にはどんなものがあるのかと探している途中で見つけた。そのときに他に出会ったのがnos氏のブログだった。Uohの持田氏は未だ未邦訳のパヴェーゼ『レウコとの対話』を2008年6月から断続的にブログ上で邦訳しており(2008年12月現在、27編中9編が邦訳されている)、その持続性、パヴェーゼを読むためにイタリア語をやり出したという歩みには驚嘆させられる。
とりわけ注目すべきは、ヘルダーリン、ハイデガーに親しみ、パヴェーゼと厳しく格闘するさなかにある者ゆえのストローブ単独監督作『アルテミスの膝』への鋭い指摘である(08.12.15)。かくも目を開かしめるストローブ作品評に出会うのはきわめて稀なことであり、私自身すら力強く叱咤されたかのような気持ちになった。ストローブ&ユイレ作品はいまなおろくに議論されていないのだと言ってよい。
「分からないことを口にするのはよろしくないことです。分からないことを分かっているかのような口ぶりで語るのはさらによろしくありません。だからと言って分からないことを分からないままにして押し黙るのも意気地のないことですし、分からないことから完全に目を背けてしまうのは卑怯な場合さえあるでしょう。分からないことを前にしたら分かろうとしなければなりません。分かるまでその場に立ちつづけなければなりません。」(08.12.20)。
この一節には少なからず心を揺さぶられ、泣きそうになった。感動のみならず自らの羞恥心によって。
ピンダロス/ヘルダリン『第三オリュンピア/ピューティア祝勝歌』を原案とする戯曲『SoPrates』に持田氏は演出・翻訳・編集として参加しているようだ。一体どんな作品なのだろう。
2008年12月19日金曜日
雑記18 心惹かれるブログ
(最終更新08.12.29)
nos氏のブログdaily report from mt.oliveをちらちらと読んでいる。このブログはパヴェーゼやストローブ&ユイレへの持続的関心が光っており刺激されていたのだが、最初の記事から読み直して着眼点に驚いた。更新速度の速さや記事の分量から想像するに、文章執筆にはさほど長時間はかけていないのだろう。しかし、長きにわたって思考してきたらしき足取りが短い短評にも生かされている。こうしたブログを見ると、人間、蓄積がないと思考の出汁もでないものだと思う。
興味を引かれた論点にかぎり、しばらくにわたっていくつか抽出し、できれば小見出し作成のごとき一言コメントのみならずじっくり加筆考察していきたい。
ブログで注目した論点
●ベンヤミン-クロソウスキーへの関心:
シミュラクルとアレゴリーを接続
シミュラクルの複数性が、同時に同一性でもあり、そこに複数神学を見出す(フーコーのクロソウスキー論)
※ただしこれはグロイス/ジジェクの言う単一性と多様性は表裏一体という議論と同じ道に嵌らないか
あるいはこの議論とさらに別の射程が今からでも引けるのだろうか
(07.5.22a、07.5.22b)
・ドゥルーズ『シネマ』におけるウェルズ評価についてこの線で読む
ウェルズの偽なるものをベンヤミン~クロソウスキーのアレゴリー/シミュラクルであるとする。
そのため、『市民ケーン』の「薔薇の蕾」を「結晶核」と見るのは偽なるものの力を取りこぼしていると指摘。
(07.07.10、07.7.24、再論:07.11.10)
・平倉圭のゴダール理解、ドゥルーズ読解を「類似」では同一性に回収されてしまうものであり、
切り返しショットを類似ではなくそこにおける間隙として見ないとまずい、という指摘。
※ これは平倉論文評としては納得できるものだった。
イメージ/言語にして、外的であるイメージを言語に回収するとまずい、
という平倉は素朴すぎるのではないか。
(07.07.06、07.07.07)
・ベンヤミンのカイロス的時間から『帝国』の時間論的展開としてのネグリTime for Revolutionへ注目
ただの左翼ロマンティシズムだとする、よくあるネグリ誤解に嵌らないためにも重要な書とする
(07.5.15、07.10.30)
・樺山三英『ジャン=ジャックの自意識の場合』をデリダ/ルソー、ドゥルーズ/トゥルニエ、ベンヤミンから注目
※議論らしい議論にはなってないがこうした着目の線を作る記事には惹かれてしまう
(07.5.23、再論:07.07.19)
●マルレーネ・デュマスの絵画作品からまなざしとアイロニーを考える
視線の非対称性、モデルのまなざし、見られているのに見られていない観客の関係
(07.6.11)
・ゴダール『アワーミュージック』や下記の小津読解は同様の視線関係の問題として展開されている
●ハイデガーのハイマート/ウンハイムリッヒを西谷修では済まないとし、故郷/異郷の問題を考える。
※ここでのギリシアーヘルダーリンとする視覚、およびフィクションの問題を考えるのは鋭い。
ファリアスでも、リンギスやナンシーでも、ラクーラバルトでもハイデガーの故郷問題は
まだ片付いていないというのはそのとおりだと思う。
(07.7.21)
・四方田犬彦『先生とわたし』で漏れ落ちる由良君美について
※ これは今まで見た本書の評としては最もいいものだった。
高山、田中純の評はまだセンチメンタルな面が残りすぎているし、
それ以外の好評となると、師匠/弟子の関係に共感している程度の域を出ない。
哲次を父としたがゆえにロマン主義の問題にああもかじりつき、メタフィクション論から神話論、
デリダやド・マンの読者にもなり、葛藤のなかにあったはずだという指摘にはうならされた。
本書の評の多くで欠けていたのはこうした世界史的文脈における視点である。
ただし、その上で今どこまで由良が読めるものであるのかが焦点になるだろうとは思うが。
四方田には三木清、西田、由良哲次を含めた、京都学派の技術論やハイデガーとの共振問題が
根本的に抜け落ちていて、哲次に関する章は「秀才の書いた体のいい伝記」程度のものだ。
(07.8.17)
・賈樟柯(ジャ・ジャンクー)『長江哀歌』読解
※ ここで論じられている男女は、いわば、別の錯時性のある時間が堆積した地層が
人称化され、ドラマとして展開されているということだ。これはきわめて興味深い。
本作は私は未見なのだが、言及されているCG映像とこの男女ペアの扱い方は、
私にとってスレイマンの『D.I.』を考えるために発想した視点とほぼ重なり、
この作品を見てみたいと思わせられた。nos氏が「みごとな韜晦」と呼んだ監督の発言は、
スレイマンが『撮影ノート』で記した「ユダヤ系イスラエル人」への屈託と奇妙に重なる面がある。
(07.08.30a、07.08.30b)
ローカリティ/世界という対比からヴェンダースの軌跡とジャ・ジャンクーの軌跡を見る。
※ だがこの「世界」は全体小説における「全体性」とどう違うのか。
世界都市=国際性という混交を導入しているのは理解できるが、
こうした「世界」とは、世界=映画=ゲーム とし、そこからの脱出として
アルトマンを読み(07.07.13、07.07.19、07.11.10)、トゥルニエ/ドゥルーズを読むnos氏の姿勢
につながっているのだろうが、少々留保を置きたい。
(中原・松浦の趣味的な言説など心底どうでもいいのだが、
複製としてクロースアップやクレーンショットを用いるアルトマンの抵抗もまたシニカルなのではないかと疑問がある。
とはいえ、nos氏のアルトマン評はポール・トーマス・アンダーソンの先駆者かつ、
アンダーソンよりも優れた作家とするものであり、腑に落ちる議論であった)
ただし、ヴェンダース評としては「今読めるヴェンダース」になっており、未見作品を含め興味を引かれた
(07.09.29)
・ストローブ&ユイレ『彼らとの出会い』『ヨーロッパ 2005年10月27日』の読解
開かれとしてのカイロス(希望の時)、いまと永遠(クロノス)との間の間隙としてのカイロスの回路。
そして、間隙を導入するためのゴダールの切り返しショットと、
ストローブ&ユイレの視線の交差なき向かい合いを、問題設定を同じくするものとして読む。
いわばここにもまた、天使の問題があるのだと。
※ 失われた神話とその出会いの想起という軸。
これはまさにハイデガーの故郷/異郷、ギリシアとその翻訳(ミメーシスとしての翻訳)である。
この点で、ストローブ&ユイレはロマン主義と単に無縁であろうとしているという藤井仁子の指摘は
かなりまずいものがあり、nos氏の指摘は浅田でも藤井でも漏れてしまう重大な問題を見ている。
(藤井の視点にはマッケイブの語るゴダールにハイデガー/ベンヤミン的なロマン主義が抜けているのに似たところがある)
そもそも、アファナシエフとの対談でヴィーゼルが、ゴダールがどこかで語った
「儀式の喪失と、その喪失の記憶」のユダヤの寓話に触れる浅田が
まずもってこの問題を無視しているのがおかしいのだが。
(2005年の講演のように)旧左翼の歴史的弁証法/新左翼のミクロ政治力学 を
ストローブ&ユイレ/ゴダールに当てはめてしまっては、双方ともに見えてこなくなる局面が多く、
むしろゴダールもストローブ&ユイレもともに翻訳の問題に取り組んでいるとみなすべき。
ただしその介入局面、制作プロセスとの関係はかなり違うものであり、
かつ、原作のアダプテーションとしては双方ともに「正しさ」が基準ではないのだと。
これのみならず、浅田のこの講演は問題が多いのだが以下略。
浅田-蓮實を「各ショットのトポロジカルな既成の美学に押し込んでしまう」と指弾する
nos氏の見切りかたには共感を覚える。
トポロジカルな分析に代えてストローブ&ユイレを「ショットの光と音が明確に切断/接合されていく」と指摘するのだが、
同様の発想から私はフォーサイスをかつてストローブ&ユイレに見出していた。
高速/低速という対比は二次的な差異に過ぎない。あるいは、速度を知覚能力に沿って考えすぎなのではないか。
(07.10.08a)
ロッセリーニ『ヨーロッパ 1951年』は「死者、つまり「過去」をも救済することを目指」したものであり
イングリット・バーグマンは「世界そのものとの切り返しショットのごとき向き=合いを見せる」。
(「戦後映画」としてのnos氏のこの着眼は小津論における原節子の取り上げ方と好一対となっている)
この継承、続編として『ヨーロッパ 2005年10月27日』があるのだとする。
クロノス的には単なる同一物の反復でしかない同じショットを、
同じものではないとして見るために5回の反復が要請されている。
かつて言った「1968年5月についての映画を撮ることはできない」という発言。
その姿勢は出来事の再現、再演奏に対しての留保であっただろう。
晩年において日付を冠した『ヨーロッパ 2005年10月27日』を少年の死を再現するのではなく撮ろうと、
日付の固有性/脱固有性とともにストローブ&ユイレは模索したのだろう。
※ これは同じく遺棄されたがごとき「少年の死」でもって終わる『ドイツ零年』に対して
東西ドイツの終焉において歴史の間隙を見取る『新ドイツ零年』を撮ったゴダールと対比するとき、
ストローブ&ユイレのペアとしての最後の作品になる『ヨーロッパ 2005年10月27日』は興味深い軌跡だ。
変電所というそれ自体は歴史的固有性が希薄な土地・建造物を映しだしながら、
日付の刻印とともに不在の少年の死を反復とともに提示しようとしている。
ただ、この二つの日記は、「それはカイロス的時間である」で止まってるな。
もうちょっと論を展開させることができるように思う。それは私の関心であるが。
(07.10.08b)
・
・
mixiの方
・小津「東京物語」の紀子(原節子)を情が凍結された空虚であり、紀子のショットは無限を見ている
あるいは何も見てはいない、亡夫を愛してもいない、という指摘(mixi05.4.23-5.1)
※ここで思考されているのは、山中がこだわった原節子と言及されているように、
時間をとめたように亡夫の写真を飾り「歳をとらないことに」決めたという紀子は
いわば戦争後遺症のような巨大な穴として描かれているのだという視点にほかならない
義母の紀子宅での宿泊後の死は紀子の嘘に由来した犠牲なのだが、
その贖いのために本当のことを言おうとする紀子を義父は肯定するという転換がある
「許されるはずのないことが、許されるはずのない人間が、許されてしまうのである。
ありえざることが、起こっている。」と氏は言う。義父が肯定するのは
彼もまた時の止まった尾道に生きているからであるのだと。
小津の時無き人口世界はこうして必然性をもって成立している。
終わりもまた紀子の顔はそら恐ろしいのだと。
※もはやこの段にいたって戦争後遺症などと(ドゥルーズがネオリアリスモについて語るようには)
うまく回収されない。虚空に向かって突き抜けているような無のみが口をあけている。
ここにいたって、もはや東京物語読解はジュネを語るバタイユよりもなお無性の露呈と化している。
・井筒~スフラワルディーのラインからイスラム神秘主義への関心
・エラノス会議、ショーレム/アドルノ/ベンヤミンにいたるメシアニズム・ユダヤ時間観への関心
(以上の二つはmixiのa:b:r:a:x:a:sトピック、エラノス会議トピック、ショーレムトピックなどで言及)
感傷的想起
読んでいくうちにnos氏がmixiをやっているとの記述に出くわし、はたと気づいた。私はこの人の名をかつて何度か目にしていたのだと。たしか彼の『アワーミュージック』評を最初に目にしたのだ。そしてまるで日記の多くをチェックしないままにお気に入り登録だけはしていたのだった。きっと何か気にかかるところがあったのだろう。お気に入りにはおよそ登録されていないのに残っていたのだから。なぜか記憶の中ではパラジャーノフやビクトル・エリセの印象とつながってすらいた。しかしそれは日記とは何の関係もない印章のごときイメージだったのだろう。2,3年ぶりに彼の日記欄を再び開いてみる。2004年から2005年にわたって詩のような語りのような作品があった。光景が立ち上がる詩をネットで偶然見つけて胸打たれたのは久しぶりだ。いや、気取るのはよそう。おそらく初めてのことだ。そして彼がドゥルーズとベンヤミンを愛するのを、昔の友達と再開したように得心した。それはかつて見た文章だったからではない。
思うに文章の淀みのなさに私は感銘を受けていた。数年前、私がチャットと掲示板だけで何がしかのことを議論しあっていたとき、ある種の流れのある文体が書けていた。その文章は今読み返すと、無用な気取りと拙速な結論、力量不足のために当時どのような文字の走らせ方をしていたのかを取り違える。自分の過去は幼さばかりが目に付いてしまう。だが、私もある種の文章の思い切った走らせ方に賭けていたときがあった。論理的展開にとって一見これは些事に思える。だが、筆の進み具合が持ち込むリズムは不意に書き手の思考を喚起させるものがあり、文章への姿勢を貧しくさせ切断しようとしていた私には、その絡み合ったものを忘れていたようだった。そう、私はnos氏の文章を読んで何かを取り戻したのだろう。
※nos氏はmixiにおけるエラノス会議、山城むつみ、『エデン・エデン・エデン』、メルヴィル、クライスト、フラナリー・オコナー、ロバート・アルトマン、ユジャン・バフチャル、ハンス・ヘニー・ヤーン、ヤコブ・ベーメ、a:b:r:a:x:a:s、などをはじめとするトピック主でもある。
nos氏のブログdaily report from mt.oliveをちらちらと読んでいる。このブログはパヴェーゼやストローブ&ユイレへの持続的関心が光っており刺激されていたのだが、最初の記事から読み直して着眼点に驚いた。更新速度の速さや記事の分量から想像するに、文章執筆にはさほど長時間はかけていないのだろう。しかし、長きにわたって思考してきたらしき足取りが短い短評にも生かされている。こうしたブログを見ると、人間、蓄積がないと思考の出汁もでないものだと思う。
興味を引かれた論点にかぎり、しばらくにわたっていくつか抽出し、できれば小見出し作成のごとき一言コメントのみならずじっくり加筆考察していきたい。
ブログで注目した論点
●ベンヤミン-クロソウスキーへの関心:
シミュラクルとアレゴリーを接続
シミュラクルの複数性が、同時に同一性でもあり、そこに複数神学を見出す(フーコーのクロソウスキー論)
※ただしこれはグロイス/ジジェクの言う単一性と多様性は表裏一体という議論と同じ道に嵌らないか
あるいはこの議論とさらに別の射程が今からでも引けるのだろうか
(07.5.22a、07.5.22b)
・ドゥルーズ『シネマ』におけるウェルズ評価についてこの線で読む
ウェルズの偽なるものをベンヤミン~クロソウスキーのアレゴリー/シミュラクルであるとする。
そのため、『市民ケーン』の「薔薇の蕾」を「結晶核」と見るのは偽なるものの力を取りこぼしていると指摘。
(07.07.10、07.7.24、再論:07.11.10)
・平倉圭のゴダール理解、ドゥルーズ読解を「類似」では同一性に回収されてしまうものであり、
切り返しショットを類似ではなくそこにおける間隙として見ないとまずい、という指摘。
※ これは平倉論文評としては納得できるものだった。
イメージ/言語にして、外的であるイメージを言語に回収するとまずい、
という平倉は素朴すぎるのではないか。
(07.07.06、07.07.07)
・ベンヤミンのカイロス的時間から『帝国』の時間論的展開としてのネグリTime for Revolutionへ注目
ただの左翼ロマンティシズムだとする、よくあるネグリ誤解に嵌らないためにも重要な書とする
(07.5.15、07.10.30)
・樺山三英『ジャン=ジャックの自意識の場合』をデリダ/ルソー、ドゥルーズ/トゥルニエ、ベンヤミンから注目
※議論らしい議論にはなってないがこうした着目の線を作る記事には惹かれてしまう
(07.5.23、再論:07.07.19)
●マルレーネ・デュマスの絵画作品からまなざしとアイロニーを考える
視線の非対称性、モデルのまなざし、見られているのに見られていない観客の関係
(07.6.11)
・ゴダール『アワーミュージック』や下記の小津読解は同様の視線関係の問題として展開されている
●ハイデガーのハイマート/ウンハイムリッヒを西谷修では済まないとし、故郷/異郷の問題を考える。
※ここでのギリシアーヘルダーリンとする視覚、およびフィクションの問題を考えるのは鋭い。
ファリアスでも、リンギスやナンシーでも、ラクーラバルトでもハイデガーの故郷問題は
まだ片付いていないというのはそのとおりだと思う。
(07.7.21)
・四方田犬彦『先生とわたし』で漏れ落ちる由良君美について
※ これは今まで見た本書の評としては最もいいものだった。
高山、田中純の評はまだセンチメンタルな面が残りすぎているし、
それ以外の好評となると、師匠/弟子の関係に共感している程度の域を出ない。
哲次を父としたがゆえにロマン主義の問題にああもかじりつき、メタフィクション論から神話論、
デリダやド・マンの読者にもなり、葛藤のなかにあったはずだという指摘にはうならされた。
本書の評の多くで欠けていたのはこうした世界史的文脈における視点である。
ただし、その上で今どこまで由良が読めるものであるのかが焦点になるだろうとは思うが。
四方田には三木清、西田、由良哲次を含めた、京都学派の技術論やハイデガーとの共振問題が
根本的に抜け落ちていて、哲次に関する章は「秀才の書いた体のいい伝記」程度のものだ。
(07.8.17)
・賈樟柯(ジャ・ジャンクー)『長江哀歌』読解
※ ここで論じられている男女は、いわば、別の錯時性のある時間が堆積した地層が
人称化され、ドラマとして展開されているということだ。これはきわめて興味深い。
本作は私は未見なのだが、言及されているCG映像とこの男女ペアの扱い方は、
私にとってスレイマンの『D.I.』を考えるために発想した視点とほぼ重なり、
この作品を見てみたいと思わせられた。nos氏が「みごとな韜晦」と呼んだ監督の発言は、
スレイマンが『撮影ノート』で記した「ユダヤ系イスラエル人」への屈託と奇妙に重なる面がある。
(07.08.30a、07.08.30b)
ローカリティ/世界という対比からヴェンダースの軌跡とジャ・ジャンクーの軌跡を見る。
※ だがこの「世界」は全体小説における「全体性」とどう違うのか。
世界都市=国際性という混交を導入しているのは理解できるが、
こうした「世界」とは、世界=映画=ゲーム とし、そこからの脱出として
アルトマンを読み(07.07.13、07.07.19、07.11.10)、トゥルニエ/ドゥルーズを読むnos氏の姿勢
につながっているのだろうが、少々留保を置きたい。
(中原・松浦の趣味的な言説など心底どうでもいいのだが、
複製としてクロースアップやクレーンショットを用いるアルトマンの抵抗もまたシニカルなのではないかと疑問がある。
とはいえ、nos氏のアルトマン評はポール・トーマス・アンダーソンの先駆者かつ、
アンダーソンよりも優れた作家とするものであり、腑に落ちる議論であった)
ただし、ヴェンダース評としては「今読めるヴェンダース」になっており、未見作品を含め興味を引かれた
(07.09.29)
・ストローブ&ユイレ『彼らとの出会い』『ヨーロッパ 2005年10月27日』の読解
開かれとしてのカイロス(希望の時)、いまと永遠(クロノス)との間の間隙としてのカイロスの回路。
そして、間隙を導入するためのゴダールの切り返しショットと、
ストローブ&ユイレの視線の交差なき向かい合いを、問題設定を同じくするものとして読む。
いわばここにもまた、天使の問題があるのだと。
※ 失われた神話とその出会いの想起という軸。
これはまさにハイデガーの故郷/異郷、ギリシアとその翻訳(ミメーシスとしての翻訳)である。
この点で、ストローブ&ユイレはロマン主義と単に無縁であろうとしているという藤井仁子の指摘は
かなりまずいものがあり、nos氏の指摘は浅田でも藤井でも漏れてしまう重大な問題を見ている。
(藤井の視点にはマッケイブの語るゴダールにハイデガー/ベンヤミン的なロマン主義が抜けているのに似たところがある)
そもそも、アファナシエフとの対談でヴィーゼルが、ゴダールがどこかで語った
「儀式の喪失と、その喪失の記憶」のユダヤの寓話に触れる浅田が
まずもってこの問題を無視しているのがおかしいのだが。
(2005年の講演のように)旧左翼の歴史的弁証法/新左翼のミクロ政治力学 を
ストローブ&ユイレ/ゴダールに当てはめてしまっては、双方ともに見えてこなくなる局面が多く、
むしろゴダールもストローブ&ユイレもともに翻訳の問題に取り組んでいるとみなすべき。
ただしその介入局面、制作プロセスとの関係はかなり違うものであり、
かつ、原作のアダプテーションとしては双方ともに「正しさ」が基準ではないのだと。
これのみならず、浅田のこの講演は問題が多いのだが以下略。
浅田-蓮實を「各ショットのトポロジカルな既成の美学に押し込んでしまう」と指弾する
nos氏の見切りかたには共感を覚える。
トポロジカルな分析に代えてストローブ&ユイレを「ショットの光と音が明確に切断/接合されていく」と指摘するのだが、
同様の発想から私はフォーサイスをかつてストローブ&ユイレに見出していた。
高速/低速という対比は二次的な差異に過ぎない。あるいは、速度を知覚能力に沿って考えすぎなのではないか。
(07.10.08a)
ロッセリーニ『ヨーロッパ 1951年』は「死者、つまり「過去」をも救済することを目指」したものであり
イングリット・バーグマンは「世界そのものとの切り返しショットのごとき向き=合いを見せる」。
(「戦後映画」としてのnos氏のこの着眼は小津論における原節子の取り上げ方と好一対となっている)
この継承、続編として『ヨーロッパ 2005年10月27日』があるのだとする。
クロノス的には単なる同一物の反復でしかない同じショットを、
同じものではないとして見るために5回の反復が要請されている。
かつて言った「1968年5月についての映画を撮ることはできない」という発言。
その姿勢は出来事の再現、再演奏に対しての留保であっただろう。
晩年において日付を冠した『ヨーロッパ 2005年10月27日』を少年の死を再現するのではなく撮ろうと、
日付の固有性/脱固有性とともにストローブ&ユイレは模索したのだろう。
※ これは同じく遺棄されたがごとき「少年の死」でもって終わる『ドイツ零年』に対して
東西ドイツの終焉において歴史の間隙を見取る『新ドイツ零年』を撮ったゴダールと対比するとき、
ストローブ&ユイレのペアとしての最後の作品になる『ヨーロッパ 2005年10月27日』は興味深い軌跡だ。
変電所というそれ自体は歴史的固有性が希薄な土地・建造物を映しだしながら、
日付の刻印とともに不在の少年の死を反復とともに提示しようとしている。
ただ、この二つの日記は、「それはカイロス的時間である」で止まってるな。
もうちょっと論を展開させることができるように思う。それは私の関心であるが。
(07.10.08b)
・
・
mixiの方
・小津「東京物語」の紀子(原節子)を情が凍結された空虚であり、紀子のショットは無限を見ている
あるいは何も見てはいない、亡夫を愛してもいない、という指摘(mixi05.4.23-5.1)
※ここで思考されているのは、山中がこだわった原節子と言及されているように、
時間をとめたように亡夫の写真を飾り「歳をとらないことに」決めたという紀子は
いわば戦争後遺症のような巨大な穴として描かれているのだという視点にほかならない
義母の紀子宅での宿泊後の死は紀子の嘘に由来した犠牲なのだが、
その贖いのために本当のことを言おうとする紀子を義父は肯定するという転換がある
「許されるはずのないことが、許されるはずのない人間が、許されてしまうのである。
ありえざることが、起こっている。」と氏は言う。義父が肯定するのは
彼もまた時の止まった尾道に生きているからであるのだと。
小津の時無き人口世界はこうして必然性をもって成立している。
終わりもまた紀子の顔はそら恐ろしいのだと。
※もはやこの段にいたって戦争後遺症などと(ドゥルーズがネオリアリスモについて語るようには)
うまく回収されない。虚空に向かって突き抜けているような無のみが口をあけている。
ここにいたって、もはや東京物語読解はジュネを語るバタイユよりもなお無性の露呈と化している。
・井筒~スフラワルディーのラインからイスラム神秘主義への関心
・エラノス会議、ショーレム/アドルノ/ベンヤミンにいたるメシアニズム・ユダヤ時間観への関心
(以上の二つはmixiのa:b:r:a:x:a:sトピック、エラノス会議トピック、ショーレムトピックなどで言及)
感傷的想起
読んでいくうちにnos氏がmixiをやっているとの記述に出くわし、はたと気づいた。私はこの人の名をかつて何度か目にしていたのだと。たしか彼の『アワーミュージック』評を最初に目にしたのだ。そしてまるで日記の多くをチェックしないままにお気に入り登録だけはしていたのだった。きっと何か気にかかるところがあったのだろう。お気に入りにはおよそ登録されていないのに残っていたのだから。なぜか記憶の中ではパラジャーノフやビクトル・エリセの印象とつながってすらいた。しかしそれは日記とは何の関係もない印章のごときイメージだったのだろう。2,3年ぶりに彼の日記欄を再び開いてみる。2004年から2005年にわたって詩のような語りのような作品があった。光景が立ち上がる詩をネットで偶然見つけて胸打たれたのは久しぶりだ。いや、気取るのはよそう。おそらく初めてのことだ。そして彼がドゥルーズとベンヤミンを愛するのを、昔の友達と再開したように得心した。それはかつて見た文章だったからではない。
思うに文章の淀みのなさに私は感銘を受けていた。数年前、私がチャットと掲示板だけで何がしかのことを議論しあっていたとき、ある種の流れのある文体が書けていた。その文章は今読み返すと、無用な気取りと拙速な結論、力量不足のために当時どのような文字の走らせ方をしていたのかを取り違える。自分の過去は幼さばかりが目に付いてしまう。だが、私もある種の文章の思い切った走らせ方に賭けていたときがあった。論理的展開にとって一見これは些事に思える。だが、筆の進み具合が持ち込むリズムは不意に書き手の思考を喚起させるものがあり、文章への姿勢を貧しくさせ切断しようとしていた私には、その絡み合ったものを忘れていたようだった。そう、私はnos氏の文章を読んで何かを取り戻したのだろう。
※nos氏はmixiにおけるエラノス会議、山城むつみ、『エデン・エデン・エデン』、メルヴィル、クライスト、フラナリー・オコナー、ロバート・アルトマン、ユジャン・バフチャル、ハンス・ヘニー・ヤーン、ヤコブ・ベーメ、a:b:r:a:x:a:s、などをはじめとするトピック主でもある。
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