フロマンジェ「ルージュ」
(Rogue, film tract No.1968, 3mins, silent, 1968)
See(in Niconico Doga)
release(公開): showed noncommercially at student rally, factory during the strike and so on in 1968.(1968年に学生集会や、ストライキ中の工場や、他の現場で非商業的に上映)
shooting period(撮影):May or June 1968(1968年5月または6月)
director: Gérard Fromanger
director of photography: Jean-Luc Godard
note(written by Sally Shafto): after that, Fromanger directed other version with Marin Karmitz. (フロマンジェは続いて、マラン・カルミッツと他のヴァージョンを撮った。)
Above note is written referring to filmography (ed. by Sally Shafto) in Colin MaCcabe’s Godard(Bloomsbury, 2003).(上記のスタッフリストはコリン・マッケイブ『ゴダール伝』(堀潤之訳、みすず書房、2007)巻末フィルモグラフィー(サリー・シャフト編)を参考にした。)
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Adduces recital there: Gérard Fromanger, “Il faut créer un Vietnam dans chaques musée du monde”, Jeune, dure et pure! Une histoire du cinéma d’avant-garde et expérimental en France, eds., Nicoles Brenez and Christian Lebrat (Paris and Milan: Cinémathèque Française and Mazzotta, 2001), pp.336-338.
Perhaps its article have translated in English and can read in this article of Rouge (no.1, 2003).
(フィルモグラフィで挙げられているフロマンジェの記事「世界の美術館のそれぞれにおいてヴェトナムを作らなきゃいけない」、ニコル・ブレズ、クリスチャン・レブラ編『若く、しぶとく、純粋な! フランスにおける前衛映画史・実験映画史』(シネマテーク・フランセーズ&マゾッタ、2001)pp.336-338)は英語版をRouge(no.1, 2003)の記事で読むことができる。
Following Japanese sentence is Japanese translation from eng.trans.aricle.(以下はその英訳からの重訳である。)
凡例
・イタリック体は太文字で表記した。
・荒っぽく訳したり意訳したりしたので箇所に応じて原文を[]で示す。
・〔〕は別の訳文を足して補った箇所。
・英訳ではひとまとまりになってる文章を段落づけして細かく分けた。
注記
・たぶんフロマンジェのインタヴューなのだろう。採録者、聞き手がRougeの方の記事では載っていないが。
・語り手「私」=フロマンジェ、「彼」=ゴダールを指す。
・所要時間約2時間の超ざっくばらんな訳。下手くそだったり単調だったり口調が不整合だったりしても気にしないこと。
「ルージュ」(1968)
ジェラール・フロマンジェは1968年5月にジャン=リュック・ゴダールと出会った…
私たちはすでに彼のところで会って話す段取りを取っていた(そのとき彼が住んでいたのはサン=ジャック通りの二世代住宅だ)。彼の部屋でベッドと向かい合わせに、私たちはいっしょに座り、数時間にわたって沈黙のままにそこにいた。一言も口を利かずにね。彼はその間何もせず、何も言わなかった。彼はただただそこに座っていたんだ。
長き数時間が経過した後、彼は私にこう尋ねた。「どうするんだい?」 私はその言葉を私のフラグ・ペインティングについて尋ねているのだと理解し、描く過程を彼に説明し始めた。彼はペンと紙を探しにいき、私が言ったことすべてをノートにとった。つまり、キャンバスに絵具を置くこと[paints]、筆の動きで筆触を出すこと[brushes]、絵具の鉢を使うこと[bowls]について。それから5分の間私を家に残して出かけ、これらすべての素材[materials]を揃えて戻ってきた! 彼はこう言う。「で、どうするんだい?」 私は旗を描くように言い、彼は三つの長方形を描いたのだった。まず青を置き、次に白を置き(といってもキャンバスは白いので既にそこにあるんだが)、そして三つ目に赤を置くはずだったのだが、彼は子供のようにくすくすと笑いながら、物語をしながら[telling stories]、自分でやった。そうしてるのがあんまり楽しかったんだろう。それから私に「これでいいかな、どうしよう?」と尋ね、それから本番[real work]を始めた。
彼がずいぶんたっぷり赤を置いているので、私は、これじゃ白と青のところまで溢れちゃうなぁ、全部赤になっちゃうぞ、あるいは、薄い塗りになっちゃうな、とか思っていた。絵具を上に垂らしたりするつもりなのかな、それとも下に垂らすつもりかもしれない、その垂れるラインを短くするつもりか、いや、長くするつもりなのかな、とかね。それから彼は私に普段の私の制作方法ならこれからどうやるんだと尋ねたので、絵具が上に垂れるようにすることと、激しくはあるが量感を出さないようにするということと、にもかかわらず鮮明に、生き生きと、動きのあるものにするということを指示した。すばやく準備してからキャンバスを持ち上げるんだよ[turn the painting]と言うと、「あえてそれをやらないでみよう![I wouldn't dare try it!]」と返してきた。私はこう断言した、「やらなきゃだめだって。やり方は教えるからさ[You must, and I will help guiding you.]」。
それから彼は赤い長方形の部分を持ち上げ、私はイメージが姿を現してくるように仕向けた。その現われを彼はあまりにすばらしく思ったらしく、彼は私が止めるまでずっとそれを見詰めていた。「こりゃすごい、すごいな。でも知りたいな。君はこれをフィルムに撮ってみようと思ったことはないの?」 私はそのアイデアに異論はなかったが、映画のカメラで作品を撮る方法がわからなかった。じゃあその役目はぼくがやって手伝おうじゃないか、とジャン=リュックは言った。その次の日には撮影を始め、素材として私の作品のポスターを使って撮ろうと彼は望んだ。これがその後2年続く友情の始まりなんだ。
結局のところ、ジャン=リュックは私から絵の描き方を教えてほしかったんだろう。6ヶ月のあいだ、私は彼に脚本で使うための素描を手伝ったし、それは最高の経験だった。素描というものが自然に存在するんじゃなくて、完全に抽象的なものだってことを彼はすぐさま把握した。ペンで紙の上に何かを創りあげ、それを実在性と関係付ける〔真に迫らせる〕こと[To create something with a pen on paper in relation to reality]は、実在性についての視点を持つことなんだ。観察するというのは、人が見るはずのものを再生産することじゃなくて、実在性において反省することだ。6ヶ月経って彼は私にこう言った。「よし、これで終わった。もう十分だ」。ジャン=リュックとの間の絵を描くセッションについて私が今思い出す特別な記憶がある。何らかの単純なものは(だって私たちがそれを見ているのだから)素描になりうるだってことを彼が把握した瞬間、すべてが(電話、亀裂、幸福が[a telephone, a crack, happiness])ある意味で「描かれたもの」でもあるんだと彼は理解したんだ。それは本当に魅力的なことで――子供じみていて、驚くべきことだった。私は彼に心底驚かされたんだ。彼の知性と感性――そして柔軟さにね。
『若く、しぶとく、純粋な! フランスにおける前衛映画史・実験映画史』(シネマテーク・フランセーズ&マゾッタ、2001)から抜粋
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これまでフロマンジェが邦語で言及された例はあまり知らないが、とりあえずゴダール絡みで言及された例で、ネットで読めるもの:
・浅田彰「歴史の授業」 (2001年に『ベトナムから遠く離れて』『北緯17度』『東風』が上映された際のパンフ掲載文章で、ざっとゴダールの60-70年代を振り返ったもの)
・堀潤之「世界ゴダール会議「フォー・エヴァー・ゴダール」に参加して」 (2001年にテート・モダンで開かれたゴダール国際会議に関するレヴュー[英語で既に書籍版は刊行されている]。「ルージュ」も上映されたらしいが、この記事では堀は『赤』と作品タイトルを記している。)
なお、60-70年代の雰囲気を示すものとして、ドゥルーズやフーコーの写真肖像を下地にフロマンジェがカラフルなペインティングを施した作品が紹介されることもあり、絵についてよく知らない人でもこの作品は書籍などで見たことのある人もいるんじゃないだろうか。ちなみに、『ユリイカ』1985年10月号には「小特集=フロマンジェ」があり、ドゥルーズ「冷たいものと熱いもの」(篠原資明訳[現在は『無人島』下巻(1969-1974)の松葉祥一訳で読むことができる])、ガタリ『夜/昼』(丹生谷貴志訳)、フロマンジェ「インタヴュー 線と色彩の旅」(聞き手&訳:浅田彰)を掲載している。