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2008年4月18日金曜日

ジェラール・フロマンジェ監督/ゴダール撮影「ルージュ フィルムトラクト1968番」(1968)

フロマンジェ「ルージュ」
(Rogue, film tract No.1968, 3mins, silent, 1968)
See(in Niconico Doga)

release(公開): showed noncommercially at student rally, factory during the strike and so on in 1968.(1968年に学生集会や、ストライキ中の工場や、他の現場で非商業的に上映)
shooting period(撮影):May or June 1968(1968年5月または6月)
director: Gérard Fromanger
director of photography: Jean-Luc Godard
note(written by Sally Shafto): after that, Fromanger directed other version with Marin Karmitz. (フロマンジェは続いて、マラン・カルミッツと他のヴァージョンを撮った。)
Above note is written referring to filmography (ed. by Sally Shafto) in Colin MaCcabe’s Godard(Bloomsbury, 2003).(上記のスタッフリストはコリン・マッケイブ『ゴダール伝』(堀潤之訳、みすず書房、2007)巻末フィルモグラフィー(サリー・シャフト編)を参考にした。)

   ::::::::::::::::::::

Adduces recital there: Gérard Fromanger, “Il faut créer un Vietnam dans chaques musée du monde”, Jeune, dure et pure! Une histoire du cinéma d’avant-garde et expérimental en France, eds., Nicoles Brenez and Christian Lebrat (Paris and Milan: Cinémathèque Française and Mazzotta, 2001), pp.336-338.
Perhaps its article have translated in English and can read in this article of Rouge (no.1, 2003).
(フィルモグラフィで挙げられているフロマンジェの記事「世界の美術館のそれぞれにおいてヴェトナムを作らなきゃいけない」、ニコル・ブレズ、クリスチャン・レブラ編『若く、しぶとく、純粋な! フランスにおける前衛映画史・実験映画史』(シネマテーク・フランセーズ&マゾッタ、2001)pp.336-338)は英語版をRouge(no.1, 2003)の記事で読むことができる。
Following Japanese sentence is Japanese translation from eng.trans.aricle.(以下はその英訳からの重訳である。)

凡例
・イタリック体は太文字で表記した。
・荒っぽく訳したり意訳したりしたので箇所に応じて原文を[]で示す。
・〔〕は別の訳文を足して補った箇所。
・英訳ではひとまとまりになってる文章を段落づけして細かく分けた。
注記
・たぶんフロマンジェのインタヴューなのだろう。採録者、聞き手がRougeの方の記事では載っていないが。
・語り手「私」=フロマンジェ、「彼」=ゴダールを指す。
・所要時間約2時間の超ざっくばらんな訳。下手くそだったり単調だったり口調が不整合だったりしても気にしないこと。

「ルージュ」(1968)
ジェラール・フロマンジェは1968年5月にジャン=リュック・ゴダールと出会った…

 私たちはすでに彼のところで会って話す段取りを取っていた(そのとき彼が住んでいたのはサン=ジャック通りの二世代住宅だ)。彼の部屋でベッドと向かい合わせに、私たちはいっしょに座り、数時間にわたって沈黙のままにそこにいた。一言も口を利かずにね。彼はその間何もせず、何も言わなかった。彼はただただそこに座っていたんだ。

 長き数時間が経過した後、彼は私にこう尋ねた。「どうするんだい?」 私はその言葉を私のフラグ・ペインティングについて尋ねているのだと理解し、描く過程を彼に説明し始めた。彼はペンと紙を探しにいき、私が言ったことすべてをノートにとった。つまり、キャンバスに絵具を置くこと[paints]、筆の動きで筆触を出すこと[brushes]、絵具の鉢を使うこと[bowls]について。それから5分の間私を家に残して出かけ、これらすべての素材[materials]を揃えて戻ってきた! 彼はこう言う。「で、どうするんだい?」 私は旗を描くように言い、彼は三つの長方形を描いたのだった。まず青を置き、次に白を置き(といってもキャンバスは白いので既にそこにあるんだが)、そして三つ目に赤を置くはずだったのだが、彼は子供のようにくすくすと笑いながら、物語をしながら[telling stories]、自分でやった。そうしてるのがあんまり楽しかったんだろう。それから私に「これでいいかな、どうしよう?」と尋ね、それから本番[real work]を始めた。

 彼がずいぶんたっぷり赤を置いているので、私は、これじゃ白と青のところまで溢れちゃうなぁ、全部赤になっちゃうぞ、あるいは、薄い塗りになっちゃうな、とか思っていた。絵具を上に垂らしたりするつもりなのかな、それとも下に垂らすつもりかもしれない、その垂れるラインを短くするつもりか、いや、長くするつもりなのかな、とかね。それから彼は私に普段の私の制作方法ならこれからどうやるんだと尋ねたので、絵具が上に垂れるようにすることと、激しくはあるが量感を出さないようにするということと、にもかかわらず鮮明に、生き生きと、動きのあるものにするということを指示した。すばやく準備してからキャンバスを持ち上げるんだよ[turn the painting]と言うと、「あえてそれをやらないでみよう![I wouldn't dare try it!]」と返してきた。私はこう断言した、「やらなきゃだめだって。やり方は教えるからさ[You must, and I will help guiding you.]」。

 それから彼は赤い長方形の部分を持ち上げ、私はイメージが姿を現してくるように仕向けた。その現われを彼はあまりにすばらしく思ったらしく、彼は私が止めるまでずっとそれを見詰めていた。「こりゃすごい、すごいな。でも知りたいな。君はこれをフィルムに撮ってみようと思ったことはないの?」 私はそのアイデアに異論はなかったが、映画のカメラで作品を撮る方法がわからなかった。じゃあその役目はぼくがやって手伝おうじゃないか、とジャン=リュックは言った。その次の日には撮影を始め、素材として私の作品のポスターを使って撮ろうと彼は望んだ。これがその後2年続く友情の始まりなんだ。


 結局のところ、ジャン=リュックは私から絵の描き方を教えてほしかったんだろう。6ヶ月のあいだ、私は彼に脚本で使うための素描を手伝ったし、それは最高の経験だった。素描というものが自然に存在するんじゃなくて、完全に抽象的なものだってことを彼はすぐさま把握した。ペンで紙の上に何かを創りあげ、それを実在性と関係付ける〔真に迫らせる〕こと[To create something with a pen on paper in relation to reality]は、実在性についての視点を持つことなんだ。観察するというのは、人が見るはずのものを再生産することじゃなくて、実在性において反省することだ。6ヶ月経って彼は私にこう言った。「よし、これで終わった。もう十分だ」。ジャン=リュックとの間の絵を描くセッションについて私が今思い出す特別な記憶がある。何らかの単純なものは(だって私たちがそれを見ているのだから)素描になりうるだってことを彼が把握した瞬間、すべてが(電話、亀裂、幸福が[a telephone, a crack, happiness])ある意味で「描かれたもの」でもあるんだと彼は理解したんだ。それは本当に魅力的なことで――子供じみていて、驚くべきことだった。私は彼に心底驚かされたんだ。彼の知性と感性――そして柔軟さにね。

『若く、しぶとく、純粋な! フランスにおける前衛映画史・実験映画史』(シネマテーク・フランセーズ&マゾッタ、2001)から抜粋

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 これまでフロマンジェが邦語で言及された例はあまり知らないが、とりあえずゴダール絡みで言及された例で、ネットで読めるもの:
浅田彰「歴史の授業」 (2001年に『ベトナムから遠く離れて』『北緯17度』『東風』が上映された際のパンフ掲載文章で、ざっとゴダールの60-70年代を振り返ったもの)
堀潤之「世界ゴダール会議「フォー・エヴァー・ゴダール」に参加して」 (2001年にテート・モダンで開かれたゴダール国際会議に関するレヴュー[英語で既に書籍版は刊行されている]。「ルージュ」も上映されたらしいが、この記事では堀は『赤』と作品タイトルを記している。)

 なお、60-70年代の雰囲気を示すものとして、ドゥルーズやフーコーの写真肖像を下地にフロマンジェがカラフルなペインティングを施した作品が紹介されることもあり、絵についてよく知らない人でもこの作品は書籍などで見たことのある人もいるんじゃないだろうか。ちなみに、『ユリイカ』1985年10月号には「小特集=フロマンジェ」があり、ドゥルーズ「冷たいものと熱いもの」(篠原資明訳[現在は『無人島』下巻(1969-1974)の松葉祥一訳で読むことができる])、ガタリ『夜/昼』(丹生谷貴志訳)、フロマンジェ「インタヴュー 線と色彩の旅」(聞き手&訳:浅田彰)を掲載している。

2008年3月23日日曜日

ゴダール、ザグダンスキー対談『文学と映画』(2004.11.4)

対談『文学と映画』
(Jean-Luc Godard, Stéphane Zagdanski, Littérature et Cinéma, (entretien, 2004.11.4), 137min)
director, camera, etc.:unknown

 2004年11月に行われたこの対談は、当時ザグダンスキーのHP「Paroles des Jours」(重いので注意)にてMP3で公開され、次いで当人によってDailymotionにアップロードされたものである。Gozagというタイトルをつけられ、41本の動画になっている(Dailymotionで見るにはこちら)。私は彼の著作は未読だが、ザグダンスキーは様々な対談を手がけているエッセイストのようで、L'impureté de Dieu(神の不純さ)(Le Félin, 1991), Le Sexe de Proust(プルーストの性)(Gallimard, 1994), Les intérêts du temps(時間の利害関心)(Gallimard,1996), La mort dans l'oeil : Crtique du cinéma comme vision, domination, falsification, éradiction, fascination, manipulation, dévastation, usurpation(眼の中の死:ヴィジョン・支配・偽造・根こぎ・魅了・操作・蹂躙・簒奪としての映画批評)(Maren Sell Editeurs, 2004), De l'antisémitisme(反ユダヤ主義について)(Climats, 2006) など刊行している。タイトルの並びを見る限り、文学研究出身の批評家なのかもしれない。近著にはドゥボール論が予定されている。多くの対談をDailymotionではアップロードしており、たとえばその中にはフランソワ・フェディエ(大学勤務者ではないものの、フランスにおけるハイデガー派の有名人。トム・ロックモア『ハイデガーとフランス哲学』では主として批判対象にされる)とのものもある(ここ)。なお、HPにある彼の対談動画集は、Dailymotionにアップされたものをサイトに埋め込んだものなので、どちらのサイトから見ても動画の質は変わらない。
 仏語の聴き取りは下手なので、ゴダールとの対談主旨を紹介することはできないが、小見出しのようにつけられた41のタイトルを訳して列記しておこう。1/9以外はゴダールタグから外しておいたので、対談「文学と映画」タグで9本が繋留されている。

Table of Contents/目次
1/9
See (in Niconico Doga)
1 "Rumeurs journalistique(ジャーナリスティックな風聞)"(1'09)
2 "Attente(待つこと・期待)"(1'16)
3 "Première caméra vidéo de Godard(ゴダールのはじめてのデジカメ)"(1'42)
4 "Nomenclatures(分類の語彙集)"(2'16)
5 "Réaction de Godard aux invectives(罵詈雑言へのゴダールの反応)"(4'16)
6 "Principes nietzschéens de la polémique(論争のニーチェ的原理)"(2'47)
2/9
See (in Niconico Doga)
7 "Neutralité et confusion(中性性と混乱)"(2'29)
8 "Renoncements du cinéma(映画の禁欲)"(3'29)
9 "Amis et ennemis(友と敵)"(4’14)
10 "Répondre toujours(つねに応答すること)"(1'09)
11 "Conseil à de jeunes cinéastes(若い映画作家への忠告)"(1'12)
12 "Le nom "Américains"(アメリカ人たちの名)"(1'31)
13 "Parler des films(映画について話すこと)"(2'07)
3/9
See (in Niconico Doga)
14 "Puzzles(謎解き)"(1'22)
15 "Bible, Talmud et Mallarmé(聖書、タルムード、マラルメ)"(1'37)
16 "Platon socratisém Kafka et Max Brod(ソクラテス化されたプラトン、カフカとマックス・ブロート))"(5'24)
17 "Adapter ou pas(適用か否定)"(3'00)
18 "Cinépiles, imbéciles(シネフィルたち、愚か者たち)"(0'47)
4/9
See (in Niconico Doga)
19 "Argent du ciéma, gratuité de la Bible(映画は金だが、聖書は無料[やや意訳文])"(3'41)
20 "Cinéma et Domination(映画と支配)"(4'12)
21 "Écriture du mouvement(運動の書法(エクリチュール))"(3'46)
22 "Trinités(もろもろの三位一体)"(3'13)
5/9
See (in Niconico Doga)
23 "Images des Palestiniens(パレスチナ人のイメージ)"(3'33)
24 "Production, distribution, exploitation(生産、流通、搾取)"(4'16)
25 "Image et son(映画と音楽)"(3'17)
26 "Habiter son nom(自らの名に住みつく)"(4'57)
6/9
See (in Niconico Doga)
27 "Dire, montrer, critiquer la critique(言う、示す、批評を批評する)"(4'13)
28 "Camp de la Mort(死の収容所)"(3'43)
29 "Le montage n’existe pas(モンタージュは存在しない)"(5'19)
7/9
See (in Niconico Doga)
30 "Domination du “Je sais” et mesonge total(「知」の支配と全体的な嘘)"(3'21)
31 "Dire et faire(言うこととすること)"(1v41)
32 "Faussetés(もろもろの誤り)"(3'08)
33 "Juifs exterminés, suicidaires palestiniens(絶滅されたユダヤ人、自殺するパレスチナ人)"(8'34)
8/9
See (in Niconico Doga)
34 "L'auteur(作家)"(1'33)
35 "Contrechamp et directives(切り返しショットと)"(3'36)
36 "Métaphore et idée(隠喩と理念)"(10'51)
9/9
See (in Niconico Doga)
37 "Autour de Serge Daney(セルジュ・ダネーをめぐって)"(5'38)
38 "Méchanceté?(意地悪?)"(2’10)
39 "Calculs de la Technique(技術の計算)"(3'10)
40 "Timbres de voix et histoire nationale(声の響きと国民史)"(3'08)
41 "Malédiction de la vidéo et de Margurite Duras(ビデオの不幸とデュラスの呪詛)"(4'12)

2007年12月28日金曜日

ゴダール&ミエヴィル『芸術の幼年期』(1990)

ゴダール&ミエヴィル『芸術の幼年期』
(Jean-Luc Godard, Anne-Marie Miéville, L’enfance de l’art (sketch de Comment vont les enfants / How are the kids), 1990, 8m)
director: Jean-Luc Godard, Anne-Marie Miéville
script: Jean-Luc Godard, Anne-Marie Miéville
production: JLG Films, UNICEF
See (in Niconico Doga)

ユニセフがTV用に作った、世界の子供たちの基本的人権を巡る六話オムニバス番組の一挿話。「子供たちは戦争に行かなくてよい権利と教育を受ける権利を持つ」という命題に基くゴダール=ミエヴィル篇では中東における戦闘、女性、爆撃下の廃墟でサッカーをする子供の映像が示される。ある兵士がドラクロワの名画「民衆を導く自由の女神」の絵葉書の裏に書いた言葉を、それを拾った女が子供に読ませる。「あらゆる影響力の中で、最もひどいものは? それは? 思想だ」。
(『現代思想』1995年9月臨時増刊号「総特集=ゴダールの神話」、「フィルモグラフィ」の細川晋執筆の項から抜粋)

 ミエヴィルとの共同監督による本作品は、ユニセフ製作で「子供の基本的人権」を扱った六話オムニバスのTV番組『子供たちはどうしているのかHow are the kids?』の一挿話である。ある女性が少年に暴動と叛乱をめぐるテクストを読んでいる。ベイルートを思わせる荒れ果てた市街地では、男たちが戦っている。『レ・ミゼラブル』を手に持った女性が、バズーカを持って壁の後ろに隠れている兵士にキスをする。子供たちは砲弾の音がする中、サッカーに興じている。ある兵士が、ドラクロワの「民衆を導く自由の女神」の絵葉書の裏に、「あらゆる暴虐のうち、最もひどいのは……」と書いたところで、銃弾に命を取られる。それを拾った女性は、そのフレーズを子供に読ませる。「あらゆる暴虐のうち、最もひどいのは思想の暴虐である」。本作品は、「戦争をしない権利」、「教育の権利」という二つの文字タイトルで締め括られる。『映画史』3A冒頭のユゴーのテクストにも通ずる、90年代におけるゴダールの政治的コミットメントの姿勢を示す作品である。
(『ユリイカ』2002年5月号「特集=ゴダールの世紀」、堀潤之「ゴダール・フィルモグラフィー 1987-2001」から抜粋)

ゴダール「コンクリート作戦/コンクリート工事」(1954)

ゴダール「コンクリート作戦/コンクリート工事」
(Jean-Luc Godard, Opération béton, 1954, 17m)
 director & editor & sound: Jean-Luc Godard
 camera : アドリアン・ポルシェ(Adrién Porchet)
 music : J. S. Bach, Händel
 production : Jean-Luc Godard, Actua Films
See (in Niconico Doga)
 スイスのダム工事現場で肉体労働者として働いたゴダールは、そこで稼いだ金でニュース映画のカメラマンを雇い、そのダムの建設作業を記録映画に撮って、自らナレーションを吹き込んだ。この処女作はヴィンセント・ミネリの『お茶と同情Tea and Sympathy』(1956)の併映短編として上映され、ゴダールの2年間の生活費を支える。「マルロー風」の壮大趣味に青年ゴダールの意気込みが窺える。ジャンルの規則に沿った月並みな映画だが、ヌーヴェル・ヴァーグの中でゴダールだけがドキュメンタリーから出発した事実に注目しよう。
(『現代思想』1995年9月臨時増刊号「総特集=ゴダールの神話」、「フィルモグラフィ」の中条省平晋執筆の項から抜粋・改変)
 opérationは「作戦」よりも普通に「工事」の意味であり、いまや定着した邦題は誤訳なのではないか、という指摘を眼にしたことがあり(たしか細川晋の或る文章だったと思う)、併記扱いにした。

2007年12月26日水曜日

ゴダール『アルミード』(1987)

ゴダール『アルミード』
(Jean-Luc Godard, Armide (sketch d’Aria), 1987, 12m) 
 director: Jean-Luc Godard
 script & editing: Jean-Luc Godard
 cast: マリオン・ピーターソン(Marion Peterson)(Les Jeunes Filles), ヴァレリー・アラン(Valérie Allain)(ibid), ジャック・ヌヴィル(Jacques Neuville)(Bodybuilder), Luke Corre(ibid), Christiam Cauchon(ibid), Philippe Pellant(ibid), Patrice Linguet(ibid), Lionel Sorin(ibid), Jean Coffinet(ibid), Alexandre Des Granges(ibid), Gérard Vives(ibid), Frederick Brosse(ibid), Pascal Bermont(ibid), Jean Luc Corre(ibid), Bernard Gaudray(ibid), Dominique Mano(ibid), Patrice Tridian(ibid)
 camera: キャロリーヌ・シャンプティエ(Caroline Champetier)
 music: composer: ジャン=バチスト・リュリ(Jean-Baptiste Lully) conductor: ?
 song: ラシェル・ヤカール(Rachel Yakar), Zeger Vandersteene(定着したカタカナ表記がなく、ファーストネームはゼゲルorゼーガorゼーガーorゼーゲルorゼガーorツェーガーorツェーゲル、セカンドネームはファンデルステーネorファンデルスティーネorヴァンデルシュテーンorヴァンデルステーネorヴァンデレスティーンorバンデルステーンor・ヴァンダーシュティーネと、ばらばらに見かける), ダニエル・ボルスト(Danielle Borst)
(※引用者注 歌ってる人と出演者が別個になってるように、二人の女優はいくつかの断片を叫ぶところ以外は、口パクシーンも含めて背景の歌はYakarやVandersteene、Borstが担当。この三人はクラシック声楽プロなのですが、共演しているLullyのCDは見つからなかったので、再販されていないCDなのだろうと思います。ゴダールがまさかクラシックの歌い手を指揮したとも思えないので。なお、Jean-Francois Paillard指揮版ならLullyの「Lully: Te Deum; Dies Irae」が去年出ており、Vandersteeneも参加しています。
 production: Lightyear Entertainment, Virgin Vision
See (in Niconico doga) 1/2, 2/2
 flvエンコードなしでupしたら、見事にyoutubeよりも劣化したので、youtubeのflvファイルをそのまま転載します。どっちも英語字幕つきで、同じソフトからのようなので。※2/2をupした直後(約3分以内!)、2/2は削除、「利用規約違反」扱いで1日間のアカウント停止食らいました。残骸1 残骸2
See (in Youtube) 1/2, 2/2

 10人の監督に、それぞれが霊感を受けるオペラのアリア、ないしはそれに準ずる歌曲を選ばせ、それに合わせて自由に映像を作らせたオムニバス映画の一挿話。ゴダールが選んだのは、リュリのバロック・オペラ「ルノーとアルミード」だ。たくましい男たちが黙々と筋力トレーニングを行うジムで、そこに勤める二人の少女はある男に心を惹かれるが、男は彼女たちの愛撫や若々しい裸体にも無関心だ。少女たちは苦悩し、動揺する。
(『現代思想』1995年9月臨時増刊号「総特集=ゴダールの神話」、「フィルモグラフィ」の細川晋執筆の項から抜粋)
 リュリは、ルイ14世のお抱え作曲家で、フランス・バロック期を代表するオペラ作曲家(1632-87)。wikipedeia内の項目。「ルノーとアルミード」(Renaud et Armide, 1968)はフランスの十字軍の騎士ルノーとアルミードの運命を歌ったアリアであり、トルクァート・タッソ『解放されたエルサレム』(1575)を素材にしている(『解放されたエルサレム』には邦訳単行本が無く、わずかに第1歌~第3歌が京都外国語大学の研究機関誌『研究論叢』に岩倉具忠訳があるのみ[vol.55,57,59, 2000-2002]。Project Gutenberg内の英訳。cf. wikipedeia内の項目)。なお、コクトーに同題の戯曲があり(1943年)、ゴダールが直接に意識していたのはこの作品なのかもしれない。

オムニバス映画『アリア』(IMDb内項目)

MovieWalker&キネマ旬報による10作品の解説とストーリー (書式はあらためて構成しなおした)
世界有数の音楽家によるアリアを10人の監督たちがそれぞれ自分のテーマにそって選んで描いた10篇から成るオムニバス映画。製作はすべてドン・ボイド。
1. 〈仮面舞踏会〉(Un balo in maschera) See(in Youtube) 1/2, 2/2
 ヴェルディ作曲のメロドラマ・オペラ。監督は「マリリンとアインシュタイン」のニコラス・ローグ、撮影はハーヴェイ・ハリソン、編集はトニー・ローソンが担当。出演はテレサ・ラッセルほか。
 1931年、ウィーン。アルバニアのゾグ王(テレサ・ラッセル)はオペラ・ハウスに公式訪問中、美しい男爵夫人(ステファニー・レーン)と熱い視線を交わす。舞台を満たす華やかな仮面の人々。やがて、オペラを見終え、出口へ向かう王と従者たち。次の瞬間、待ち構えていた数人のアルバニア亡命者から発射される銃弾で、その場は血の海と化すのだった。しかし、倒れた人々の中に王の姿はなかった。
2. 〈運命の力〉(La virgine degli angeli)
 ヴェルディの宗教的な作品をチャールズ・スターリッジが監督。撮影はゲイル・タタソール、編集はマシュー・ロングフェローが担当。出演はニコラ・スウェイン、ジャック・カイルほか。
 クレモナの聖堂の祭壇の上の聖母マリアと御子の絵画。絵画の中の御子は聖母に救いを求めるように聖母の視線を追う。3人の子供たち、ケイト(マリアンヌ・マクローリン)、マリア(ニコラ・スウェイン)、トラヴィス(ジャック・カイル)は学校をさぼり、ドライヴを始める。やがて3人の車はパトカーに追跡され、後には散乱し燃えた車の破片が……。
 See 1,2 (in Niconico Doga)
3. 〈アルミードとルノー〉(Armide)
 フランスの十字軍の騎士ルノーとアルミードの運命を歌ったリュリーのアリアを「ゴダールの探偵」のジャン・リュック・ゴダールが監督。撮影はカロリーヌ・シャンペティエ、編集はゴダール。出演はマリオン・ピーターソン、ヴァレリー・アランほか。
 時代は現代。スポーツ・センターで身体を鍛えている若者たち。掃除に来た娘は一人の若者に魅せられる。彼は彼女の存在に気づかない。この時、彼女の中にアルミードと同じ怒りがわき、彼の背にナイフをかざすのだった。
4. 〈リゴレット〉(Rigoletto)
 放埒な公爵に娘をもてあそばれた道化師リゴレットの復讐を描いたヴェルディのヒット・オペラをジュリアン・テンプルが監督。撮影はオリヴァー・ステイプルトン、編集はネール・アブラムソンが担当。出演はバック・ヘンリー、アニタ・モリスほか。
 中年の映画プロデューサー(バック・ヘンリー)が、スウェーデン女優(ビヴァリー・ダンジェロ)をアメリカのマドンナ・インに連れていく。このホテルにはそれぞれの部屋にテーマがつけられている。たとえばネアンダルタール・ルームなら、岩穴が型どられた部屋というように……若い男を連れたプロデューサー夫人(アニタ・モリス)がなんと、そのホテルにやってきた……。
5. 〈死の都〉(Die tote Stadt)
 亡き妻の幻に縛られている男をテーマにしたコルンゴルトのアリアをブルース・ベレスフォードが監督。撮影はダンテ・スピノッティ、編集はマリー・テレーズ・ボワシュ、美術はアンドリュー・マッカルパインが担当。出演はエリザベス・ハーレイほか。
 ベルギーのフルージュに住む男(ピーター・バーチ)は亡き妻が忘れられない。この町自体、死の雰囲気を漂わせ、彼はその呪いに縛られている。ある日彼女にそっくりなダンサーに会い、家につれてくる。そして、かつて妻の演奏に合わせて歌ったリュートを贈る。
6. 〈アバリス〉(Les Boréades)
 ラモーのアリアを「フール・フォア・ラブ」のロバート・アルトマンが監督。撮影はピエール・ミニョー、編集はアルトマン、美術はスティーヴン・アルトマンが担当。出演はジュリー・ハガティ、ジュヌヴィエーヴ・パージュほか。
 18世紀には、一般人が料金さえ払えば、動物園に動物を見にいくように精神病院を見学することができる。貴族の気まぐれの楽しみのために、患者たちがオペラに参加させられることもあったのだ……。
7. 〈トリスタンとイゾルデ〉(Liebestod)
 愛と死をテーマにしたリヒャルト・ワグナーのオペラをフランク・ロッダムが監督。撮影はフレデリック・エルムス、編集はリック・エルグッドが担当。出演はブリジット・フォンダ、ジェームス・マザーズほか。
 ラスヴェガス。まるで昼間のような明るいライトが照らされる一室で若い2人(ブリジット・フォンダ、ジェームズ・マザーズ)が愛を交わし、心を開く。
8. 〈トゥーランドット〉(Nessun dorma)
 中国の皇帝トゥーランドットをテーマにしたプッチーニのアリアを「狂えるメサイア」のケン・ラッセルが監督。撮影はガブリエル・ベリスタイン、編集はマイケル・ブラッドセルが担当。出演はリンジ・ドリュー、アンドレアス・ウィスニュースキーほか。
 自分を縛っている邪悪な惑星土星の輪から少しずつ逃れようとする若い女性。彼女は神官と3人の巫女たちによって体の様ざまな部分に夥しい宝石がつけられていく。
9. 〈ルイーズ〉(Depuis le jour) See(in Youtube)
 シャルパンティエのアリアを「カラヴァッジオ」のデレク・ジャーマンが監督。撮影はマイク・サウソン、編集はピーター・カートライト、アンガス・クックが担当。出演はティルダ・スウィントンほか。
 恐ろしく年をとったレディ(エイミー・ジョンソン)が舞台でカーテン・コールを受ける。今、彼女の脳裏には若かりし頃の自分(ティルダ・スウィントン)の愛の日々が甦ってくる……。
10. 〈道化師〉(I pagliacci)
 レオンカヴァルロのアリアをビル・ブライドンが監督。撮影はガブリエル・ベリスタイン、編集はマリー・テレーズ・ボワシュが担当。出演はジョン・ハートほか。
 道化師(ジョン・ハート)は、舞台に上り、自分の人生をふり返る。舞台で演じる役と実像が重なる彼……。

2007年7月20日金曜日

ゴダール&ミエヴィル『フランス映画の2×50年』(1995)

ゴダール&ミエヴィル『フランス映画の2×50年』
(Jean-Luc Godard, Anne-Marie Miéville, Deux fois cinquante ans de cinéma français, 1995, 51m, video)
 director: Jean-Luc Godard, Anne-Marie Miéville
 scénario: Jean-Luc Godard, Anne-Marie Miéville
 assistant director/assistant réalisateur(演出助手): ジルベール・ギシャルディエール
 director of phoyograhy: イザベル・チャイカ
 sound engineer: Stéphane Thiébaut(ステファヌ・ティーボー)
 editor: Jean-Luc Godard
 cast: Michel Piccoli, Jean-Luc Godard, Cécile Reigher(セシル・レゲール), Estelle Grynszpan(エステル・グリュンスパン), Dominique Jacquet(ドミニク・ジャケ), Patrick Gillieron(パトリック・ジリエロン), Fabrice Dierx-Benard(ファブリス・ディエルクス=ベナール), Xavier jougleux(グザヴィエ・ジュグルー)
 (※imdbや多くのサイトでは、Estelle Grynspanではなく、Estelle Grynszpanになっているので、これにしたがった)
 production: British Film Institute(BFI), Périphéria
 executive producer(製作総指揮): Collin MacCabe(コリン・マッケイブ), Bob Last(ボブ・ラスト)
 production manager/director de production(製作主任): Philippe Saal(フィリップ・サール)
 (※この役割はまれに仏語から直訳して「製作監督」と訳されることもある)

See (in Niconico Doga)
1/2, 2/2

 各国の映画作家に発注された映画百年記念TV番組の一本。ゴダールは湖畔のホテルのラウンジで、映画最初の世紀を祝う会の会長ミシェル・ピコリと会見し、なぜ映画百年を祝うのかと疑問を投げかける。この会見の後、ホテルに一泊したピコリは、ホテルの従業員たちにフランス映画の監督、俳優、作品などについて質問するが、彼らはフランス映画の歴史をまるで知らないようだ。ピコリはホテルを去る。最後にディドロ、フロマンタン、フォール、サドゥール、エプスタン、オリオール、マルロー、コクトー、ブレッソン、バザン、ロメール、トリュフォー、リヴェット、デュラス、ダネーらのテクストが引用される。
(『現代思想』1995年9月臨時増刊号「総特集=ゴダールの神話」、「フィルモグラフィ」の細川晋執筆の項から抜粋)

 BFIが映画百年を記念して各国の監督に依頼したTV番組シリーズのフランス篇。ゴダールはこの作品を『映画史』の補遺と位置づけているが、ミエヴィルとの共同監督によることもあり、『映画史』とはやや雰囲気が異なる。ゴダールとミシェル・ピコリが会見するホテルのラウンジも、ピコリがフランス映画について従業員に質問する部屋も、『映画史』ではいくつかの「実写」場面に用いられるだけだった、平板で陰影の少ないTV的な光線で撮られており、ドビュッシーなど使用される音楽のレパートリーも『映画史』とは重ならない。とはいえ、本作品には、1A末尾に登場する「マックス・ランデールの最期の言葉」、2Aで読まれるボードレールの「旅」などが登場し、最期を締め括るディドロ、エリ・フォール、オリオル、コクトー、バザン、トリュフォー、ダネーらの批評家たちの肖像と引用は、大部分が3Bで反復されている。
(『ユリイカ』2002年5月号「特集=ゴダールの世紀」、堀潤之「ゴダール・フィルモグラフィー 1987-2001」から抜粋)

■追記(2007年12月14日)
 数ヶ月前のニコニコ動画運営側の調整によって、アカウントなしで見るためのニコニコ動画ビューアが通用しなくなったため、該当URLへのリンクは削除した。
■追記2(2008年3月30日)
 コリン・マッケイブ『ゴダール伝』(堀潤之訳、みすず書房、2007)巻末フィルモグラフィー(サリー・シャフト編)がきわめて詳細なものだったため、これをもとに上記のスタッフリストを書き足した。

2007年7月15日日曜日

ゴダール『「勝手に逃げろ/人生」のシナリオ』(1979)

ゴダール『「勝手に逃げろ/人生」のシナリオ』
(Jean-Luc Godard, Scénario de Sauve qui peut (la vie), 1979, 20m, video)
production: JLG Films
See (in Niconico Doga)

 これは「作品」ではなく、CNC(国立映画センター)の「収益前渡金」委員会に企画書をともに提出されたヴィデオによるシナリオである。デュトロン、ユペール、ミウ=ミウ(当初ドゥニーズ役にキャスティングされていた)の写真から出発し、ゴダールが画像合成、スローモーション、ディゾルヴによるショット転換について語る。
(『現代思想』1995年9月臨時増刊号「総特集=ゴダールの神話」、「フィルモグラフィ」の細川晋執筆の項から抜粋)

■追記(2007年12月14日)
 数ヶ月前のニコニコ動画運営側の調整によって、アカウントなしで見るためのニコニコ動画ビューアが通用しなくなったため、該当URLへのリンクは削除した。

ゴダール『WAと会う/ウディ・アレン会見』(1986-87)

『WAと会う/ウディ・アレン会見』
(Jean-Luc Godard, J.L.G Meets W.A. / Meeting W.A., 1986/87, 26m, video)
cast: Jean-Luc Godard(Lucky Jean-Luc), Woody Allen
music: George Gershwin
production: JLG Films
See(in NicoNico Doga)
1/3, 2/3, 3/3
See(in DailyMotion)こちらの方が画質良し

 『リア王』で道化を演じてもらう要請をするため、ニューヨークのウディ・アレンを訪問したゴダールが、セントラル・パークに面した窓に影となって映る。ラッキー・ジャン=リュックと名乗る彼は『ハンナとその姉妹』の監督に、TVについて質問する。会話の中に字幕画面やエドワード・ホッパーの絵が挿入され、画像合成、スローモーション、アイリス・アウトなどの技法が試される。最後にロールに帰ったラッキー・ジャン=リュックは、葉巻をくわえ、ヴィデオを再生しながら微笑む。
(『現代思想』1995年9月臨時増刊号「総特集=ゴダールの神話」、「フィルモグラフィ」から細川晋執筆の項から抜粋)

■追記(2007年12月14日)
 数ヶ月前のニコニコ動画運営側の調整によって、アカウントなしで見るためのニコニコ動画ビューアが通用しなくなったため、該当URLへのリンクは削除した。

2007年7月11日水曜日

ゴダール&ミエヴィル『二人の子供フランス漫遊記』(1977)

ゴダール&ミエヴィル『二人の子供フランス漫遊記』
(Jean-Luc Godard, Anne-Marie Miéville, France/tour/detour/deux/enfants, 1977, 25m x 12, video)
 director & editor: Jean-Luc Godard, Anne-Marie Miéville
 script: Jean-Luc Godard, Anne-Marie Miéville, (librement inspiré de G. Bruno, Le tour de la France par deux enfants. Devoir et patrie (1884).)
 camera : ウィリアム・リュプチャンスキー(William Lubtchansky), ドミニク・シャピュイ(Dominique Chapuis), フィリップ・ロニ(Philippe Rony)
 production : SonimageINA pour Antenne 2
 cast : アルノー・マルタン(Arnaud Martin)(子供), カミーユ・ヴィロロー(Camille Virolle)(子供), Jean-Luc Godard(ロベール・リナール), ベティ・ベール(Betty Berr)(解説者), アルベール・ドレ(Albert Dray(解説者)
See (in Niconico Doga)
1/12, 5/12

 各回の番組はおよそ6つのパートからなる。(1)スタジオにいる男の子と女の子の映像が映し出されるクレジット・タイトル。(2)インタヴューを受ける方のどちらかの子供の日常的身振りがスローモーションを交えて示される。対になる概念が主題として提示される。(3)「怪物たち」と呼ばれる大人についての考察。(4)一方の子供へのロベール・リナールによるインタヴュー。映像は質問に答える子供の顔のクロースアップに終始し、質問者の映像は決して現れない。様々な抽象的概念が、制度的思考を離れた現実の比喩として考察される。(5)スタジオにいる男女二人のTVキャスターの自己批判的考察。(6)いずれかのキャスターが番組を締め括る。
(『現代思想』1995年9月臨時増刊号「総特集=ゴダールの神話」、「フィルモグラフィ」の細川晋執筆の項から抜粋)

■追記(2007年12月14日)
 数ヶ月前のニコニコ動画運営側の調整によって、アカウントなしで見るためのニコニコ動画ビューアが通用しなくなったため、該当URLへのリンクは削除した。

ゴダール『シネトラクト』(1968)

ゴダール『シネトラクト』
(Jean-Luc Godard, Cinétracts, 1968, 53s, silent)
 director & editor: Jean-Luc Godard
See (in Niconico Doga)
 五月革命の最中、クリス・マルケルの提案に基づき、アラン・レネ、ウィリアム・クラインや映画学校の学生らとともにゴダールも1分から5分ほどのアジ・ビラ映画製作に参加した。ゴダールのシネトラクトの大半は、彼自身の過去の作品からの映像と各種政治的スローガンを書き記したボードの映像を単純にモンタージュしたもの。これらのフィルムは一般公開を目的とするものではなく、政治的実践の一端としてストライキ中の学校、工場、集会場で上映され、労働者や学生の共闘会議の討論の素材に用いられた。
(『現代思想』1995年9月臨時増刊号「総特集=ゴダールの神話」、「フィルモグラフィ」の細川晋執筆の項から抜粋)

■追記(2007年12月14日)
 数ヶ月前のニコニコ動画運営側の調整によって、アカウントなしで見るためのニコニコ動画ビューアが通用しなくなったため、該当URLへのリンクは削除した。

2007年7月10日火曜日

ジガ・ヴェルトフ集団『イタリアにおける闘争』(1969)

ジガ・ヴェルトフ集団『イタリアにおける闘争』
(Dziga Vertov Group, Lotte in Italia, 1969, 79m)
 director & script: Dziga Vertov Group (Jean-Luc Godard, Jean-Pierre Gorin)
 cast: クリスティアーナ・トゥリオ・アトラン(Cristiana Tullio-Altan)(パオラ・タヴィアーニ(Paola Taviani))、アンヌ・ヴィアゼムスキー(Anne Wiazemsky)(店員)、ジェローム・アンスタン(Jerome Hinstin)、パオロ・ポゼッシ(Paolo Pozzesi)(ナレーター)
 production: コズモセイタン
 InternetMovieDataBaseの項目
See(in Niconico Doga)
1/2
2/2

 この闘争には表面的な暴力の場面はどこにもない。イタリアの女学生パオラの日常生活の断片の反復と、彼女の自問自答と、長い黒の画面が交互に続くだけである。だが、マルクス主義者を自称するパオラの日常生活がいかにブルジョワジーの政治的、社会的、文化的、精神的構造に組み込まれているかを暴露してゆく。そのオフの声と黒の画面とパオラの日常生活の相克こそ、この映画の闘争である。構成の明確さ、画面の単純さにおいて、『東風』の対極をなすジガ・ヴェルトフ集団の頂点の一つ。
(『現代思想』1995年9月臨時増刊号「総特集=ゴダールの神話」、「フィルモグラフィ」の中条省平執筆の項から抜粋)

■追記(2007年12月14日)
 数ヶ月前のニコニコ動画運営側の調整によって、アカウントなしで見るためのニコニコ動画ビューアが通用しなくなったため、該当URLへのリンクは削除した。

2007年7月5日木曜日

ゴダール『子供たちはロシアで遊ぶ』(1993)

ゴダール『子供たちはロシアで遊ぶ』
(Jean-Luc Godard, Les enfants jouent à la Russie, 1993, 60m. video)
 script & editing: Jean-Luc Godard
 camea: キャロリーヌ・シャンプティエ(Caroline Champetier)
 mix: ステファヌ・ティエボー(Stéphane Thiébaut)
 cast: Jean-Luc Godard(白痴), ラズロ・サボ(Laszló Szábó)(ジャック・ヴァレンティ(Jacques Valenti), Andrès S. Labarthe(私立探偵アルシド・ジョリヴェ(Alcid Jolivet)), Bernard Eisenchitz, オード・アミオ(Aude Amiot), ベネディクト・ロワイヤン(Benedicte Loyen)
 production: Vega Films, ペリフェリア(Périphéria)
See(in Niconico Doga)
1/3, 2/3, 3/3

 アメリカの製作者が各国の監督に発注した「重大事件:90年代のロシア」というTV番組の一篇。アメリカ人の製作者ジャック・ヴァレンティがロシアに旅立つ(旅立たない)までの模様が描かれるなか、映画や文学作品や実映像が重層的に挿入され、そこに様々な考察が重ねられる。主題となるのはロシア文学とソ連映画である。ゴダールはこう述べる。「なぜ西洋はこの国を侵略しようとするのか? それはここはフィクションの生地であり、西洋人はフィクションを発明することができないからだ」。「ロシア人はわれわれのように映画の発明を体験しない。列車が駅に到着する時、彼らはリュミエール兄弟のことではなく、アンナ・カレーニナのことを考える。彼らはその若い女性が列車の下に身を捧げるのを見る」。
(『現代思想』1995年9月臨時増刊号「総特集=ゴダールの神話」、「フィルモグラフィ」の細川晋執筆の項から抜粋)

 ゴダール自身が『映画史』の補遺とみなすこの作品は、アメリカ人製作者ジャック・ヴァレンティ(ラスロー・サボー)がスイスの空港で「白痴」と呼ばれる映画監督(ゴダール)に会って映画を作らせるという筋に、ロシア文学とソ連映画をめぐるゴダール流の省察が加えられる作品である。『映画史』完成後に目録作業を手伝った映画批評家のベルナール・エイゼンシッツや、『新ドイツ零年』で語り手の声を担当したアンドレ・ラバルトも出演している。ソ連については、ハリウッドの「夢の工場」と比較するかたちで、すでに『映画史』1Aで大きく扱われていた。本作品で扱われる様々なエピソードのうち、ポンスレがモスクワの牢獄で射影幾何学を構想したという投影=映写の起源をめぐる挿話は、ほぼ同じ映像の展開で『映画史』2Aで反復される。また、3Bに出てくる文字タイトル「エルスヌールと言っても何も言ったことにはならない/ハムレットといえばすべてを言ったことになる」は、「映像」に対応するロシア語の二つの単語をめぐる本作品での議論を圧縮したものである。
(『ユリイカ』2002年5月号「特集=ゴダールの世紀」、堀潤之「ゴダール・フィルモグラフィー 1987-2001」から抜粋)

■追記(2007年12月14日)
 数ヶ月前のニコニコ動画運営側の調整によって、アカウントなしで見るためのニコニコ動画ビューアが通用しなくなったため、該当URLへのリンクは削除した。

ゴダール&ミエヴィル『ソフト&ハード』(1986)

ゴダール&ミエヴィル『ソフト&ハード』
(Jean-Luc Godard, Anne-Marie Miéville, Soft and Hard (A Soft Conversation between Two Friends on a Hard Subject), 1986, 52m, video)
 director: Jean-Luc Godard, Anne-Marie Miéville
 scenario & cast: Jean-Luc Godard, Anne-Marie Miéville
 camera: ピエール・バンジェリ(Pierre Binggeli)
 production: JLG Films, Channel 4
See(in Niconico Doga)
1/5, 2/5, 3/5, 4/5, 5/5

 家事を行うミエヴィルとその傍らでテニスのラケットの素振りをするゴダール、戸外の光景などに続き、居間で「ハードな話題を巡る二人の友人のソフトな会話」を行うゴダールとミエヴィルが映し出される。映画を巡る会話はミエヴィルの映画原体験に及ぶ。
(『現代思想』1995年9月臨時増刊号「総特集=ゴダールの神話」、「フィルモグラフィ」の細川晋執筆の項から抜粋)

■追記(2007年12月14日)
 数ヶ月前のニコニコ動画運営側の調整によって、アカウントなしで見るためのニコニコ動画ビューアが通用しなくなったため、該当URLへのリンクは削除した。

2007年7月4日水曜日

ゴダール&ミエヴィル『古い場所』(1998)

ゴダール&ミエヴィル『古い場所』
(Jean-Luc Godard, Anne-Marie Miéville, The Old Place, 1998)
See(in Niconico Doga)
1/2, 2/2

 ニューヨーク近代美術館(MoMA)からの委嘱で作られたミエヴィルとの共同監督によるこの作品は、「20世紀末における美術の役割」についてのエッセイである。基本的に『映画史』終章のスタイルを引き継いで、映画・絵画・写真の引用に、ベルクソン、ボルヘス、ヴァレリー、チェスタトン、トーマス・マン、シモーヌ・ド・ボーヴォワールの文章や、ボルタンスキーやユーゴの戦争写真などについての批判的な考察が加えられ、「伝説としての美術/現実としての映画」、「時間の外」、「永遠の終焉」などの印象的な文字タイトルが重なって展開していく美術をめぐる挑発的な思考と言える。
また、この作品は、『忘却に抗って』以来、およそ8年ぶりのミエヴィルとの共同監督作品であり(『モダンタイムズ』で国境を跨いで歩くチャップリンは、『ダルティ報告』でも本作品でも用いられる)、それによって本作品では『映画史』の問題系に微妙な偏差が加えられている。

(『ユリイカ』2002年5月号「特集=ゴダールの世紀」、堀潤之「ゴダール・フィルモグラフィー 1987-2001」から抜粋)

■追記(2007年12月14日)
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2007年6月22日金曜日

ゴダール『映画史』2A 映画だけが(1994-98)

ゴダール『映画史』2A 映画だけが
(Jean-Luc Godard, Histoire(s) du cinema. 2a: Seul le cinema, 1994-1998)
See (in Niconico doga)
1/2, 2/2

 基本構成は『映画史』1A・1Bと変わらず、2A・2Bでも書斎でタイプライターの前に座り省察に耽るゴダールの姿と、映画ばかりでなく絵画や文学作品や音楽が引用・リミックスされ、様々な角度から映画の/映画に関する考察が積み重ねられていく。しかしこの2Aの冒頭では映画批評家セルジュ・ダネーへのインタヴューが挿入され、とりわけヌーヴェルヴァーグと歴史との関わりについての対話がなされる。そして途中、ジュリー・デルビーによる詩の朗読風景も挿入される一方で、ボードレールへの言及がいくつかの箇所で見うけられ、また「映画だけが」というこの章のタイトルだけでなく「どうして複雑にするのか?」などの命題が繰り返される。ゴダールはこの章をサンチャゴ・アルバレスらに捧げている。

(『現代思想』1995年9月臨時増刊号「総特集=ゴダールの神話」、「フィルモグラフィ」の彦江智弘執筆の項から抜粋)

■追記(2007年12月14日)
 数ヶ月前のニコニコ動画運営側の調整によって、アカウントなしで見るためのニコニコ動画ビューアが通用しなくなったため、該当URLへのリンクは削除した。

2007年6月21日木曜日

ジガ・ヴェルトフ集団『ウラジミールとローザ』(1970)

ジガ・ヴェルトフ集団「ウラジミールとローザ」
(Dziga Vertov Group, Vladimir et Rosa, 1970)
監督・脚本・撮影・録音・編集:ジガ・ヴェルトフ集団(ゴダール、ジャン=ピエール・ゴラン)
See (in Niconico doga)
1/2, 2/2

 1968年8月のシカゴ民主党大会で騒乱を画策したとして起訴された、いわゆる「シカゴ八人組(Chicago Eight)」の裁判記録を基に、ジガ・ヴェルトフ集団の織りなす風刺劇。ゴダールとゴランはウラジミールとローザと称していわば道化役に回り、この裁判劇にコメントしたり、登場人物が行うテニス試合の横で互いにインタヴューしあったり、音声を録音したりする。バーレスク趣味が横行し、スラップスティック喜劇やテックス・アヴェリーのアニメのようだという評もある。

(『現代思想』1995年9月臨時増刊号「総特集=ゴダールの神話」、「フィルモグラフィ」の中条省平執筆の項から抜粋・改変)

■追記(2007年12月14日)
 数ヶ月前のニコニコ動画運営側の調整によって、アカウントなしで見るためのニコニコ動画ビューアが通用しなくなったため、該当URLへのリンクは削除した。

ゴダール『二十一世紀の起源』(2000)

ゴダール『二十一世紀の起源』
(Jean-Luc Godard, De l'origine du XXIe siécle, 2000)
See (in Niconico doga)
1/3, 2/3, 3/3

 本作品はカンヌ映画祭の要請により、カナル・プリュスの共同製作で作られ、2000年の映画祭の開会式で上映された。ハンス・オッテのミニマル風の静謐なピアノ曲が流れる中、年号がシンプルに「1990」から「1900」まで15年ずつ遡って表示され、ヴァン・ヴォークト、ベルクソン、バタイユ、ギヨタらの断片が二人の男女によって読まれるとともに(男声はギヨタが受け持っている)、キューブリックの『シャイニング』、ゴダール自身の『勝手にしやがれ』のラストシーン、ロジェ・レーナルトの『最後の休暇』、マルローの『希望』、ドライヤーの『吸血鬼』などの映像が、戦争関連のニューズディールやポルノグラフィと混ぜ合わされて登場する。
 「失われた世紀を求めて」展開されるこの探求は、「GOULAG」から「LAGER」への語呂合わせ的な文字の変移に明瞭なように、コソヴォから第二次世界大戦に至る20世紀の惨禍をライトモチーフにし、技法的な観点からも『映画史』の付録のような位置を占め、また『アワーミュージック』の地獄篇に通じる作品となっている。
(『ユリイカ』2002年5月号「特集=ゴダールの世紀」、堀潤之「ゴダール・フィルモグラフィー 1987-2001」から抜粋・改変)

 director: Jean-Luc Godard
 script: Jean-Luc Godard
 music: ハンス・オッテ(Hans Otte
 text: ヴァン・ヴォークト(Van Vogt), アンリ・ヴァカン(Henri Vacquin), アンリ・ベルクソン, ジョルジュ・バタイユ, ジャン=ベニーニュ・ボシュエ(Jean-Benigne Bossuet), ピエール・ギヨタ(Pierre Guyotat)
 voice: ピエール・ギヨタ、ロナルド・アリエル・シャマ(Ronald Ariel Chammah)
 photo: ジュリアン・ハーシュ(Julien Hirsh)
 mix: フランソワ・ミュジー、ガブリエル・ハフナー(Gabriel Hafner)
 production: ヴェガ・フィルム(Vega Films)

対訳シナリオはこちら


* ボシュエ(1627-1704)はルイ14世に仕えた神学者であり、王権神授説を唱えた。数多くのテキストを残し、当時の文学者としても著名。
* ギヨタ(1940-)は小説家・舞台演出家。邦訳には『五十万人の兵士の墓』『続五十万人の兵士の墓』(二見書房)、『エデン・エデン・エデン』(ペヨトル書房)がある。ギュヨタ、ギュイヨタとも表記されている。
  ネットにある『エデン・エデン・エデン』についての記事:
  http://www1.ocn.ne.jp/~ppl/epaves01/guyotat.htm
  http://www.fuchu.or.jp/~d-logic/jp/books/edenedeneden.html
  また、演劇演出とゴダールの関係についての小文:
  http://homepage3.nifty.com/musicircus/ecm/ecm_ns/1706_9.htm
* シャマは、ゴダール作品にもたびたび登場したイサベル・ユペールの夫であり、監督作『鳶(Milan noir)』(1988)、ジャンヌ・フーシェとの共著(『イサベル・ユペール 肖像の女性』、Seuil, 2005)がある。


■追記(2007年12月14日)
 数ヶ月前のニコニコ動画運営側の調整によって、アカウントなしで見るためのニコニコ動画ビューアが通用しなくなったため、該当URLへのリンクは削除した。
■追記(2009年3月4日)
 仏/英/邦対訳シナリオのリンクを忘れていたので改めて付した。