t5frさんが教えてくれた英語字幕アーカイブに『フランス映画の2×50年』のeng.srtファイルがあったので、この英訳字幕ファイルと所持している動画ファイルのスペイン語訳字幕とp.o.l.から出されている原文採録テキストを往復しながら訳出している。以下、途中メモ。
・p.o.lの文章に省略がしばしばある。注記なしでテキストが数秒~数分ぐらい飛ぶので困る。数単語、何を言ってるのかわからない箇所も。(意味は英訳字幕で補ったが)
・さらにeng.srtがたまに間違ってる。通常の「~~...」「...~」という字幕の接続の仕方にまぎれて、訳し抜けている箇所を同じように省略してしまっていたり。
[3'07-3'57]
・ピコリの口から、タヴェルニエと一緒に出てくるベルナール・シャルデル(Bernard Chardère)は共著でLes Lumière(1985)を刊行した研究者。リヨンにあるリュミエール兄弟博物館L'Institut Lumièreの設立者でもある。リヨンに設立された理由は、リュミエール兄弟の著名な作品「工場の出口」(Sortie des Usines Lumière à Lyon[英題Workers Leaving the Lumière Factory), 1895)がその原題で示されているように「リヨンにあるリュミエール工場の出口」を出ていく従業員たちの記録映像であり、工場があったことを根拠にしているのだろう。
・そのシャルデルらが「リュミエール博物館内に映画の部屋を作り、兄弟の工房を保全し、「工場の出口」(のおそらく修復フィルムのリプリントか何かだろう)を上映する(une construction d'une salle à L'Institut Lumière de cinema, et la sauvegarde de l'atelier de frère, Sortie des Usines Lumière.)」計画を立てた、とピコリが話すのだが、この箇所がeng.srtでは不明確になっている。Sortie des Usines LumièreをThe Exit from the Lumière Factoryと訳してしまっているし、L'Institut LumièreとLumière Factoryの区別がよくわからないままに訳したのかもしれない。
・ピコリが言ってる計画「映像の谷」(リュミエール兄弟のリヨン地方、ニエプスのシャロン地方、ボーヌ地方で行われる)は、1996年から始まったデジタルイメージの研究プロジェクトとしても結実しているようだった。たとえばこんな研究がなされたらしい。
[12'29-17'30]
・初期映画の作家・理論家が頻繁に言及される。アリス・ギイやシャルル・パテや、エジソン、メリエス、リュミエールらの細かい話に関して映画中毒者の映画の歴史の記事が(これはサドゥールの記述の要約みたいな記事なのかな)、デリュックやデュラック、オリオールらの記述に関しては、この1,2年で一気に充実しているWikipediaの映画関連項目がそれぞれ参考になった。