2008年3月1日土曜日

ストローブ&ユイレ『ロートリンゲン!』の背景1

エッセー的に、歴史にも不勉強なままにつらつらと書いてみる。
以下のウィキペディア項目ぐらいしか見ていないが、
ロレーヌ地域圏
メロヴィング朝
カロリング朝
東フランク王国
神聖ローマ帝国
フランク王国
中フランク王国
ロタリンギア
ハインリヒ1世
オットー1世
神聖ローマ帝国
フランス王国
ローマ帝国
西ローマ帝国
東ローマ帝国
イタリアルネサンス

・コレットとアスムスの見た地元紙「オーストラジーAustrasie」もただの古い地名ではなく、フランク王国第一代王朝メロヴィング朝の時代(481-751)のアウストラシア王国につながる。この時代、メスは王国の首都だった。

・その後、第二代王朝カロリング朝がはじまるが、840年にフランク王国のルートヴィヒ1世が死去したのち締結されたヴェルダン条約(843)によって、この地において東西を東フランク王国、西フランク王国に挟まれたかたちで中フランク王国が成立した。別名中部フランク王国、ロタール王国、ロタール領とも言われるが、初代国王ロタール1世の死去の翌年結ばれたメルセン条約によって東中西フランク王国の各領土は再確定され、中フランク王国はイタリア、ロタリンギア、プロヴァンスに3分される。ロタリンギアはロレーヌ(Lorraine,仏)、ロートリンゲン(Lothringen,独)の語源。この時代の首都もメス。
・その後も西フランク王国が王家断絶する911年までカロリング朝の時代が続くが、東フランク王国第三王朝ザクセン朝(ドイツ王国:919-962。東フランク王国第一王朝はカロリング朝になる:843-911)をハインリヒ1世が開き、ドイツ王国時代にロタリンギアは包含されている(925)。アスムス教授が言う、メスがゲルマンのもとに屈したというのはこのことを指す。そしてハインリヒ1世の息子オットー1世が962年以降、神聖ローマ帝国をはじめる(-1806)。他方、987年には旧西フランク王国でフランス王国がはじまる(第一王朝カペー朝)
・ロタリンギアのドイツ王国併合の1年前は、カール大帝(800-814)によって始まり東西フランク王国の国王がローマ皇帝を歴任したフランク・ローマ帝国が終わる年でもある。

・ゲルマン/ドイツの という語句のもつ含意はおそらくこうした背景のもとで意識的に選択されている。おそらく、ゲルマン(フランク族)というのはローマン(ローマ-ラテン)と対になっているのかな。しかし、当時の西欧圏で東ローマ帝国への意識がどの程度だったのか、ドイツ王国から神聖ローマ帝国に移行するまでの「ローマ」の求心力はどうなっているのか、全く不勉強なのでこの仮定はまだ成り立たない。

・バレスの執筆した1900年代という、1870年の普仏戦争の際のアルザス・ロレーヌのプロイセンへの併合の記憶を親や祖母世代が持っていた頃には、10世紀以来成立したフランス王国/神聖ローマ帝国という構図が堆積しているのだろうが、わからないのはハインリヒ1世の頃にすでにそうした構図がメスとドイツ王国の間にあったとみなすことができるかどうか。バレスは単に遡行的に現在を投影して1000年前を想像させているのかもしれない。

以上はさておき、本作品の軸は
・独/仏語
・普仏戦争後のフランスナショナリズム
・普仏戦争後にロレーヌの人々が強いられた、難民のような行路
こうした近世近代において不可避に生じている一般的な構造の見え隠れ と
・地の文の声とアスムス教授の声を担当する男声 と 祖母&コレットの女声の 対峙
 (その構図のもとで最後のコレットの正面を向く姿が成立している)
・近世までの痕跡が濃く残る建造物(がたぶん間接的に関わっている部族間・王国間・宗教間の諸抗争)が普仏戦争を媒介として独仏間の構図へと収斂するように反響しあうこと

あたりなんだろうと思う。

ローマ-ラテンとか言い出したら、裏づけが必要になるな。神学-形而上学もまだヨハネス・(スコトゥス・)エリウゲナ(810-877)ぐらいの頃で、カール2世治世期にカロリング・ルネサンス起きてたあたりか。よくわからないままに坂部恵のカロリング・ルネサンス本でも読み進めてみよう。

■ 追記(2008年3月4日)
 本田訳『コレット・ボドッシュ』入手。68年前の初版だったのでほとんど古文書のごとき紙質。奥付には「定價一圓五十銭」とあり、版元の検印がまだある。
 バレスの生没年は1862-1923なので、eBookにあるように、著作権はもう切れているようですね。訳書の方で言うと、本の組版の権利は編集著作権扱いなので刊行後50年で消えるはずだからもう権利は切れてるけれど、訳者の本田喜代治の生没年は1896-1972なので、(翻訳者の著作権は死後51年経たないと消えないので)翻訳文の権利は切れてない。よって、いかに現在手に入りにくいこの邦訳であっても、活字を全編upするのは違法扱いを避けられないですね。あと、200頁ほどの分量だからわざわざ読む人いなさそうだ。ストローブ&ユイレの手がけるテキストの邦訳で言うと、ヘルダーリンは邦訳全集も復刊したので読めるし、ブレヒトの『ユリウス・カエサル氏の商売』もパヴェーゼも探せばまああるだろうし、ヴィットリーニは一部作品が文庫化したし。異様に手に入りにくい古い本はこれぐらいだろうけど、注目度も低そうだからほっとこう。個人的にはこのあたりの関連書籍はもうちょっと読んでみようと思う。
 邦訳書を読了次第、採録の方の該当頁数を付記します。